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★分割自我復元★その199■ 【虚の辞典】
by:
鈴木崩残
2013/04/28(Sun)05:02:19
【虚の辞典】
●今回は、他者の引用ではなく、私自身が、作り出している辞典である。
無明庵の著作物のタイトルには「虚」という文字が多く使われてきた。
「虚無宇宙からの伝言」「虚空の辺境」「虚無の微笑」などである。
そこで、本辞典の仮名を「虚の辞典」としてみる事とした。
******************
・
【『 現 実 』】
≒言い換えると「意識ある生命体が 日常の世界と呼ぶもの」
・
●感覚による知覚 必要性からの思考 連想
必要性の 全くない 妄想 幻覚を問わず
今 この瞬間に
最も強い印象 を感じる 対象物によって
支えられている 暇つぶし。
暇つぶし とは 随分と 穏やかな言葉であるが
実際には 実在性が 虚無性を 拒絶 又は 恐怖している という『苦痛』を
忘却する為に 発生する 退屈感に 対して
必死に 対抗するための 知覚運動が 『現実』 と定義される。
ただし もとより 原初の宇宙 それ自体が
これこそが 自らの実在である と妄信するところのもの
と対立する と思い込んでいる非実在を 拒否する
という恐怖が その形を変えた『退屈感』から 始まった
という事実を 多くの生命体は 知らされていない。
******************
・
【『 苦 痛 』】
≒言い換えると「意識ある生命体が 死にたくなる 主な要因」
・
●意識のフォーカスが 『落ち着かない状態』 の総称である。
原初の意識が それ自体の 非運動性 に留まる事が
不可能となる事態が 発生した場合に
意識は 原初の状態よりも 劣化した 代用行為として
意識を 対象物に 固定しようと試みるが
対象物が 固定性を欠くものである事例が 宇宙内では 多すぎる故に
『苦痛』とは 宇宙が 偶発的に発案した 一種の 永久機関となった。
******************
・
【『 退屈感 』】
≒言い換えると「意識ある生命体が 不安 と誤認する 安定状態」
・
●『記憶』 という機能によってのみ発生する 全宇宙的病理。
ただし その他の記憶との 『区分・区別』 という行為なしには
『記憶』 は保存され得ない か又は 機能できない
という事象に 注意すべし。
******************
【『 劣等感 』】
≒言い換えると「意識ある生命体にとって 不快感の原因となるもの」
・
「自らに、劣等感を感じさせた相手または集団に対する報復が、完了した、
と、勝手に思い込んだ時に発生するが故に、
逆に、自分が相手に、一生の間、
「屈従」をさせられる「精神的奴隷」となることを、
促進する感情(被害者意識を持った側の感情)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●以下、雑記となる。
コンプレックに起因する言動を、私が問題視する理由は、
それは、『自己探求』ではないからである。
もとより、その原因は他者からの非難によって、
自尊心が傷つけられたことに端を発することになる。
自尊心が傷つくとは、ありていに言えば、
自己存在意義を否定された、と「思い込んだ」ということである。
(そもそも自尊心とは何かという問題はここではいったん保留とする)
しかし、それが原因なのであれば、
劣等感は、「他者の価値観」に沿う形で、
その他者に自らの価値わ「納得させる」か、
または絶対的な力で相手を「屈服させる」ことでしか、
その解決を図ることが出来ない、という宿命的な「欠陥」を持つ。
そうなれば、それは『自己探求』ではなく、
自らに対する批判者を、納得させるか、屈服させるか、
または、掌を返して自分を賞賛させるか、
または批判者の相手または集団を殺すか、
という解決法しか、存在しなくなるのである。
すなわち、
コンプレックスに起因する言動、衝動、達成目的、努力などは、
自分が恨んだり、馬鹿にしていたはずの、その当の相手の持つ価値観に、
「過度の関心」を、絶え間なく持ち続ける事となり、
その結果として生ずることは、『自己探求』ではなく、
自分を否定した相手、またはそれら類する他者や集団の言動を、
批判し、否定する為の「材料(ネタ)」を探すか、
または、論理的に「無理のある自己肯定」を出来る材料、
(一例として宗教、あるいは、これまた他者の価値観)を探すかの、
いずれかに陥ることになる。
●さて、まず、こうした事(劣等感)が生ずる「前提」を語らねばならない。
この世界で、俗に「悪いこと」と決め付けられているものは、
すべて「死」の方向へと向うものと決め付けられている。
厳密に言うと、死ではなく「苦へ向う方向」なのであるが、
人類は苦へと向うと分かりきっていることでも、平気でやり続けるので、
ここでは、誰にでも分かる、肉体の「死」を扱うこととする。
死へ向うものが「悪い」という、
仮設住宅のごとき「貧相なルール」が出来ている社会では、
1/「貧乏で 食べられない状態は 最後には 死ぬ。 だから悪い」
2/「馬鹿は 社会適応できなくて 最後には 死ぬ。 だから悪い」
3/「性格が悪いと 誰からも慕われず、いざというとき助けてくれず、
最後には 死ぬ。 だから悪い」
4/その他「ブスは結婚できず、チビはケンカに不利で、
障害者は自活できず、病気と怪我は弱って、
最後には 死ぬ。 だから悪い」
ちなみに、結婚できない者とは、
実際には、「自他ともに、何ら実害がなく」、
「結婚している者の有害性」よりも、はるかに「無害」なのであるが、
まるで、人口を減らすことに加担しているかのように、
批判されることがままある。
●しかし現実には、
「子供がいないと寂しい」という母親の「わがまま」や、
子供を作っては、
妻を家庭と育児(つまり己)に「縛り付けたい屈折した夫の嫉妬心」や、
自分の子供を見てみたい、という単なる「軽薄な好奇心」や、
孫の顔が見たいという、「老人の身勝手さ」を満たすためや、
跡取りがいないと困るから、という「経済的理由」や、
あげくには、単なる情欲による性行為の「副産物」、
こうした事が原因で、子供を作った夫婦がいたとしたら、
そうした思慮のない出産によって、
資源と領土が不足し、自然環境が破壊されてゆく中で、
「人口を増やすこと」の方が、どれだけ人類に「害悪」があるかを
考えたこともないという人が、大半なのである。
●本線に話を戻そう。
お金がなくても、死なない事は明白な事実であるので、
5/「お金がないと 最後には 死ぬ。 だから 悪い」
これは本来は、論理としても成立しない。
しかしながら、
「物々交換の持つデメリット」を解決するために発案された「貨幣」が、
地球社会のほとんどのエリアを、この馬鹿げた慣習で覆ってしまった。
事実、一切の保険医療を拒否して、
食料と水と、エネルギー類の自給自足を目指すならば、
ぎりぎりの貨幣(現金収入)だけを補い、
あとは、困らないという生活を実現している人たち、または部族も、
少数だが、この地上には現存する。
その気になれば、温暖な地域に住めば、衣類は必要最低限で済み、
いつ、台風に飛ばされても作り直せる簡単な住居を得れば、
食べて排泄すること、だけに関して言えば、
お金がなくても死ぬことはない。
ただし、その平和な離島で、
「手作りではなくて、上等のワインが飲みたい」だの、
「インターネットや、映画やドラマを見たい」だの、
「隣の島に、サメにひっくり返されない漁船で移動したい」だのと、
俗に言うところの「贅沢なこと」を言い出さねば、の話である。
●しかし、地球のエリアのほとんどは、
良かったか、悪かったかは別問題として、
その「贅沢なこと」を、ひっきりなしに言い出し続けたり、
贅沢が、「美徳や、人類の進歩の証」であるかのように吹聴したことによって、
複雑なまでの「相互依存」のネットワークを作り上げてきた。
●話が、また逸れた。
そもそも、「劣等感」の原因は、前述したように、
「その状態を続けていたら、死ぬ」か、または、
「生存するのに不利である」という状態を、
他者の中に勝手に認識した、と同時に、
その相手に対して、「それは、悪い状態だ」と決め付けたとき、
そう「決め付けられた者」の側に発生する、自己否定である。
ただし、客観的な否定の根拠というものが、そこにあるわけではなく、
あくまでも、否定された側が、他者の見解を受け入れたり、
それに翻弄された結果の「自己否定」にすぎない。
●ちなみに、コンプレックスの「反対語」は「優越感」とされるが、
では、どれだけ、優越感にひたれるほどに、
真に価値と意味と正当性のある「優越性」がこの世界にあるだろうか?
「劣等感」とは、冒頭に定義したように、そもそもが、
「自らに、劣等感を感じさせた相手に対する報復が完了した、
と、勝手に思い込んだ時に発生するが故に、
逆に、自分が相手に、一生屈従させられる「精神的奴隷」となることを、
促進する感情(被害者意識を持った側の感情)」
である。
●だが、相手に煩わされないこと、
相手の価値基準に翻弄されないこと、
この方が、よほど実質的に、「優越性(優越感ではない)」を
獲得している状態に在る事は言うまでもない。
■ 結 論 ■
仮に、純粋に生物学的に見れば、
「心底から、嘘偽りなく、本気で、死んでもいい」と思っている者に対しては、
劣等感を植えつけることは困難である。
なぜならば、「死」を許諾した場合には、
馬鹿、ブス、チビ、のろま、身体の不具合、貧乏、宿無し、
このいずれの罵倒と批判にも、「反発をする意味(動機)が皆無」だからである。
故に、劣等感を植えつけられるのは、
「死にたくない」と思っている者に対してだけである。
●ただし、ここからが重要である。
自殺願望者なんぞは、それこそ、本当に自殺を実行する瀬戸際まで、
徹底的に、劣等感を植え付けることなど、いとも簡単である。
その理由は、彼らは、身体の死は歓迎しても、
その身体が「死に至らないまでの残り時間」において、
生の中で受ける「苦痛」を許諾できないからである。
この「苦」の定義は、既に定義済みなので、ここでは省略する。
●多くの問題は、「死」を回避するべきだ、
という価値観によって生じているが、
厳密に言うならば、死ではなく、「死に至るプロセス」、
あるいは、全く死ぬ心配がないにも関わらず生ずるところの、
「心身の苦痛」この回避に、
日常生活と呼ばれるものの、時間と労力の大半が、浪費されているのである。
6/「心が病めば、やがて、心が動かなくなって死ぬ だから悪い」
という言い分である。
・・・・だが、はたして、そうか?・・・・
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