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[209]
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★分割自我復元★その209■ 短編小説 『はじめてのバー』 ■
by:
鈴木崩残
2013/05/10(Fri)15:44:54
『はじめてのBAR』
鈴木崩残 作
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その男は、独りでいることが苦手だった。
彼が最も嫌うのは孤独だ。
だから彼は、常に誰かと共に行動をしていた。
会社でも、家への帰路でも同僚と同じ地下鉄に必ず乗った。
彼は「人好き」だと周囲からは評されていた。
そんな彼が、今日だけは、なぜか独りだった。
幼馴染みが、突然の交通事故で他界し、その葬儀に参列したのだが、
その知人の親類縁者とは特段の面識がなかったために、
葬儀後に、一杯飲みに誘える顔見知りもいなかったのである。
まっすぐに帰宅する予定だったが、
たまには見慣れぬ土地を散歩するのも悪くないと思った彼は、
葬儀場の付近をぶらつき始めた。
いつもであれば、孤独は彼の最大の敵だった。
だが、しんみりと湿った葬儀の空気を吸ったせいか、
なぜか、彼は、今日ぐらいは一人で歩いてみようと思ったことに、
不思議と、自分で違和感を感じなかったのである。
夕暮れ近くになったころ、一軒の店の看板が目についた。
「カクテルBAR EMO」
男
「カクテルバーか。
こういうところは、ついぞ入ったことがないな。
いつも同僚たちとは居酒屋だし、
こんな洒落た店にはとんと縁がない。
ちょっと勇気がいるけど、入ってみるか。
この歳になって、カクテルバーにも行ったことがないなんて、
同僚にも恥ずかしいしな。
入ってみることに決めた。」
男が、そっとドアを開けると、少し変った香りがした。
たぶん、カクテルに独特の香りなどだろうと男は気にしなかった。
中へ入ると、数人の客がいたが、なぜか、誰もが独りで、
カップルは見かけなかった。
よく、ドラマなどではカップルでカクテルバーにいるものだが、
カップルがいない方が、かえって、こういう所へ来るのに、
自分に連れの彼女がいない、ということを意識しなくて済むので、
むしろ、ほっとさえした。
何を注文したらいいのか、わからない。
どこへ座ったらいいのかも分からなかったので、
とりあえず、彼はカウンターに座った。
バーテンダーは言った。
「何になさいますか?」
男は、なんだか、ドラマでよく耳にするという理由と、
なんとなく通っぽいという理由で、こう答えた。
男
「あ、じゃー、ブラッディーマリーを・・・・」
これが、無難な注文だろう。男は、そう思った。
しかし、バーテンダー(B)の答えはこうだった。
B
「そういったお飲み物は、当店にはございません。
ですので、他には?」
なんだ、よく耳にする名前だから、わりとよくあるカクテルなのかと思ったら、
意外と、マニアックなものだったのだろうか。
それとも、この店が、しけた店、ダサい店なんだろうか。
しかし困った。カクテルの名前なんかよく知らない。
そこで、こう言ってみた。
男
「じゃー、マスターに任せるよ。」
これでひと安心、と思った男に、バーテンダーはこう言った。
B
「それでは、困りますので、
他のお客様のように、
飲んで、味わいたい”感情”のご注文を出してください。」
変った店だなと男は思った。
どうやら、この店は、客が好きな感情にあわせたカクテルを作る、
と、そういうサービスの店なのか?
しかしな、感情を、と言われてもな。
そう考えている間にも、バーテンダーはこう言った。
B
「お客様の、飲みたい”感情”を、心に想い描いてください」
おいおい、ますます変った店だな。
つまりだ、ここは、占いバーか何かで、
心に思った感情を読み当てて、それでカクテルを作る???
まー、とにかくカクテルにありつけるためだ。
心に思い描こう。
それに、これは明日、会社で、ちょっとした話のネタになりそうだしな。
そこで男は、とりあえず、美味いカクテルになるような、
何か楽しい思い出を、心に呼び覚まそうとした。
男は、いつも酒を、かっくらう時には、どうでもいい話をする同僚と、
ただただ、時間を潰すような、酒の飲み方しかしてこなかったが、
唯一、大学時代に、たった一度だけ、
本当に気のあった3人の仲間で飲み明かした一夜があり、
それはたったの一夜だったのだが、
その男の中では、人生の中でも、あとにも先にも、ただ一回の、
最高に楽しい夜、最高の酒の味として記憶されていた。
そこで男は、その夜に一緒にいた友や、行った焼き鳥屋の情景、
そして、腹がよじれるほどに、馬鹿笑いをした思い出を思い描いた。
しかし、バーテンダーはこう言った。
B
「お客様。
失礼ですが、それは、映像です。
それでは、ご注文にはなっておりませんので、
映像でなくて、味わわれたい ”感情”を再現してください」
えっ??
なんなんだよ、それ。
イメージじゃなくて、感情を再現しろ、だって?
じゃ、こうか。
腹の底からおかしくて、仲間と息がぴったりあった会話が楽しくて、
こーう、なんというか、ニコニコとしてきて、笑顔になって、
ルンルンして、こうか? こうか? この、うきうき感で、
これでいいのか?
男は、子供のように、手を中途半端にぶらぶらさせた。
するとバーテンダーは言った。
「かしこまりました。
ご注文をありがとうございます。
で、度数は、何倍にいたしますか?」
度数?ってなんだよ。
ん? たぶんアルコール度数のことらしいな。
わかったよ、わかった。
ここがどういう店かは知らないが、
何にも知らない素人と思われるのだけはごめんだ。
とりあえず、2倍。そう2倍なら害もないだろうから、2倍だ。
えーい、もうどうにでもなれってんだ。
男
「じゃー、マスター。2倍で頼むよ。」
バーテンダーは、手際よく棚のボトルを数本選び出すと、
手際よくシェーカーを振った。
そして、一杯のカクテルが、男の前のグラスに注がれた。
それは半透明の、黄色い液体だった。
見たところ、全くなんのへんてつもない、人畜無害のカクテルに見えたが、
口に運んで、グラスに、男の唇がついた瞬間、
少しだけ、唇が痺れた感覚がした。
だが、気にせずに、そのまま男は、一気に飲み干した。
だが、その次の瞬間だった。
男の脳裏に、いや脳裏ではない、
男の全身、男の胸、腹、顔、そのすべてに、
あの大学生時代のときに、あの素晴らしく楽しく飲み明かした一夜の
”楽しさの感情”が、まさに二倍以上にもなって、
彼の魂を、数分間、満足するまで、揺さぶったのである。
しばらくすると、その感動的な感情の記憶の味が去ったので、
男は、バーテンダーに向って、思わず、
しかし小声で、耳打ちするように、こう尋ねた。
男
「マスター。これって合法なのかい?
一体、どんな薬を混ぜたんだい?」
B
「お客様。当店のサービスは公共機関の、正式な許可を得て、
提供させて戴いているものでございますので、ご安心ください」
男には、状況がよく分からなかったが、
まー、それじゃ、この店は、
何か、心を病んだ人のセラピーか何かを行っているところで、
国の許可を得た、医療機関の一種か何かか?
だから、多少の薬品は、合法的に出せるということか。
まー、理由はどうあれ、
遠い思い出にすぎなかった、あの日の夜の、
あの楽しかった気持ちが、こんなふうに味わえるんだったら、
よし、もう一杯だ。
もう一杯、何かを頼もう。
それで、どうするんだったっけ。
あ、そうだ。
一番楽しかったった、”感情”を呼び起せばいいんだったな。
イメージじゃない。
記憶の映像じゃない。
そう、欲しい"感情"を、ありありと思い出せば、いいんだよな。
すると、バーテンダーは言った。
B
「他には、ございますか?
たいていのお客様は、一晩に6、7杯ほど飲みになります。
料金でしたら、ご心配ありません。
当店は、明朗会計ですので、料金は、こちらの通りになります。」
料金表には、1200とか、1500という数字がならんでおり、
高いものでも、1800となっていたので、男は安心した。
よし、数杯飲んでも、消費税を入れても、1万以内に納まることは確かだ。
ひとつ今日は、ここで2、3杯、ひっかけてゆこうと、男は決めた。
男
「じゃー、次はこれで。
それで、次は、三倍で、お願いね。」
そう言うと、男は、かつて、会社の付き合いで、ゴルフをしたときに、
偶然に、ホールインワンを出したときの思い出に浸った。
あのときは、痛快だったよな。
ゴルフなんてしたことないだろうと馬鹿にする連中の前で、
ラッキーだったとはいえ、ホールインワンだ。
素人がやると、こういうのたまにあるんだよねー、
とか馬鹿にした言い方をしていた奴らもいたけど、
コースを終わってみれば、結局、あの日は、俺が一番だったじゃないか。
そんなことは、俺の人生で、たった一回だけだけど、
あのときは、痛快だったよな。
男の同僚たちは引いていたけど、そう、香織ちゃん。
カオリちゃんだけは、俺に話しかけてくれて、
そう、そうやって、俺は、社会に出てからの初めての大人の恋に落ちたんだった。
男は、考えが、初恋のことになるのを必死に押さえ、
まずは、あの痛快なホールインワンの時の感動の感情を奮い起こした。
すると、ほどなくして、
バーテンダーがカクテルを男の前のグラスに注いだ。
先ほどの黄色よりも、どちらかというとオレンジがかった黄色だったが、
中に、茶色の小さな木の実のようなものが数個入っていた。
男は、それが何が知りたかったので、バーテンダーに尋ねた。
B
「その粒は、優越感の味を出すものでございます。
正しく申し上げますと、
軽蔑の感情を、少し含んだ、喜び、といったものでございます」
男は、カクテルを飲み干した。
茶色の粒とともに飲み込まれた液体は、男の全身に、
再び”感情”の波を広げた。
お腹から広がるその感情は、喜びの、つむじ風のように、
男の精神のあちこちを飛び回り、
同僚の男や先輩たちに対する軽蔑心を味わい、
そして自らの優越感にひたり、
そして、ホールインワンという現象に恵まれた自らの幸運を自賛する感情に、
男は、たっぷりと、浸りつづけた。
満足するまで味わったところで、数分すると効き目が消えた。
すると男の頭の中は、自分が社内恋愛に落ちた、そのカオリさんのことで
一杯になってしまった。
そこで、男は考えた。
そうだ。
注文するのも感情を思い出す。
そして、カクテルになって出てくるのは、その何倍もの感情の味だよな。
だったら、俺はあの感情を何倍にもして味わいたい。
香織とのセックスの中でも、何度目か忘れたけど、
あの日の最高なセックスの感情を、もう一度味わいたい。
香織が、何度も何度もイッて、
もうあなたを離さないと言ってくれた、あの日のセックス。
最後に、ぴったりと一緒に果てた、あの日のセックス。
あれを何倍にもした、最高の感情を注文したらどうなるか楽しみだ。
男は、バーテンダーに、少し恥ずかしげな顔で、耳打ちした。
男
「男女の秘め事の感情なんてのも、カクテルに作ってくれるのかい?」
B
「もちろんでございます。
その昔は、とても人気のあったカクテルでしたが、
ここ最近では、お客様が、
めずらしく何年ぶりかに、ご注文される事となりそうです。
かしこまりました。お作りいたします。
何倍にいたしますか?・・・・
さようですか。5倍ですね。
では、少し、お待ちください。」
男は、その日の人生最高と記憶しているセックスのときの、
その、彼女を自分のものにできたという、絶頂の喜びの感情を再現してみた。
ほどなくすると、カクテルが注がれた。
てっきり注がれる液体は、情熱の赤色かと思いきや、
注がれた液体は、薄い紫色をしていた。
男は、それを飲み干した。
当然のこととして、
それこそ、5倍の、絶叫するほどの性的なエクスタシーが訪れるだろう、
との期待に反して、
その液体が男にもたらしたのは、「征服の満足感」だった。
それもそのはずである。
男は、注文を出す際に、性的な絶頂感を感情として思い出すよりも、
遥かに多くの、「彼女を自分だけのものにした満足感」を感情として
再現したからである。
結果として、そのカクテルが彼にもたらしたのは、
自らに対する自信に満ちた、自己満足の感情の一種だった。
期待した性的な爆発的感情ではなかったものの、
当時の自信に溢れた自分を5倍の強さで感じることの出来た男は、
その味に満足した。
楽しい感情の味を、だいぶ飲み干した男の目に、
気になるボトルが、目に入った。
そのボトルにはこのような文字が書かれていた。
「Sumanakatta」
男は尋ねた。
男
「マスター。あのボトルは何なんだい?
Sumana・・・何とか、えーっと。」
B
「これでございますか。
これは、罪悪感のリキュールでございます」
えっ・・・???
「Sumanakatta」、つまり、
「すまなかった」・・・・つまり、罪悪感の味??
一体、どういうジョークなんだよ。
それで、罪悪感が体験できるカクテルを作るわけかよ?
そうなると、男は、
バーテンダーの後ろの棚にあるボトルが気になりはじめて、
あれは何だ、それは何だと、質問魔と化していった。
B
「こちらは、恥ずかしさ(羞恥心)という感情のボトルでございます。
その、すぐ横のは、少し味は薄いですが、恥じらいです。
これなどは、大変に希少なもので、
乙女のファーストキッスの時の感情だけを集めたものです。
少し、青臭いですが、独特の味にリピーターになる方も多いです。
こちらは、よく皆様が好まれるカクテルの元となる果実酒でして、
左から、怒り、憎悪、そして一番右が呪い、
その下が、殺意の感情となっております。
変りまして、こちらの棚のこれなどは少し苦味がありますが、
一時期、とても人気がありました。
こちらの中身は、傲慢な寛容に基づく哀れみ、の感情でございます。
そして、こちらの棚のボトルは、苛立ちと、焦燥感と、恐怖などです。
その上の段にありますのは、自分のことが心配、という感情です。
心配には、もうひとつ他人や家族の心配をする、という感情がございますが、
基本的には、他人の事でご自分が心配などしたくない、という
自分のことの心配です。
たまに、味の分からない方が、味が違うと言われることもあります。
原料は、同じなんですけどね。
こちらなどは、少し野生的な味ですが、我慢の感情です。
お客様が、生理的に排泄物、特に放尿を長時間我慢されているときの
あの感情のみを絞り出したものでございます。
あ、でもご安心ください。飲まれましたときには、
その後味に、最後に、排泄できて、一気にほっとする感情がちゃんと
入っていますから。」
排尿の我慢の感情なんて、
あんなもの何度か経験したので、まっぴらご免だ。男は、そう思った。
だが、一方で、
男は、少しずつだが、この店の本質を理解し始めた。
さすがに、ここまで見れば、このバーにある原材料は、
何も、楽しい感情の味ばかりではなく、
さまざまな、不幸な感情や、怒りや、苛立ちや、苦痛も含むようだ。
つまり、甘口だけではなく、辛口の感情体験も作れるように
原材料の在庫があるということだ。
そして、どうやら、
楽しい感情に浸るようなのは、自分のようなビギナーだけで、
店の常連客は、楽しみの感情など飽きてしまっており、
通は、苦痛を飲むのではないか?
そのようにすら男には思えてきた。
だって、そうだろ?
さっき、あのマスターは、セックスの喜びが、
ここのところは、さっぱり人気がないって言ってたじゃないか。
だから、間違いない。
ここの常連たちは、もっともっと、複雑で屈折して、芸術的だったり
神秘的だったりする、そういう感情を注文しているに違いない。
俺の注文なんか、きっと、ガキの注文みたいなものなんだ。
よし、じゃー、ひとつ、俺も、大人の仲間入りと行くか。
男は、自分には読めない、どこかの異国の文字で書かれた、
一本のボトルを指差して言った。
男
「マスター。あれでひとつ、カクテルを作ってくれないかい?」
B
「ユサザリを発酵させた素材ですね。」
男
「あ、そうだ。ユサザルのあれを、頼むよ。」
B
「失礼ですが、そのご様子ですと、
お客様は、ユサザリをお飲みになるのは初めてですよね?
元の感情を知らずに、製品を選ばれますと、
ご注文を出すときに、
お客様が、ご自分で想起できない感情を飲まれることとなります。
そうなりますと、お客様の望みとは一致しない感情の味になることも
ございますが、それでもよろしいですか?」
男は思った。
そうか。俺の知らない感情なんてものがあるわけだ。
ユサザリって、人間の感情なのか、それとも魚か何かの感情か?
いずれにしても、惨めさとか、寂しさとか、そんな名称じゃなさそうだし、
楽しくなくても、苦しくさえなければいいさ。
ここはひとつ、冒険をしてみよう。
なーに、悲しくなる感情だっていうわけでもなさそうだ。
ただ、俺には未知の感情らしい。
それだけで十分に飲む価値がある。
男
「マスター。そのユササ、なんとかっての頼むよ。
満足しなかったしても、絶対文句言わないよ。約束するよ。」
バータテンダーは、そのボトルを手に取ると、
そのボトルの中身の製造年数のような表示を確かめる素振りをすると、
「よし、これなら、いいだろう」というふうに、うなづいて、
カクテルを作り始めた。
ただ、それが、いいまでと少し違っていたのは、
バーテンダーは、今回は、シェーカーを使わなかったことだった。
ユサザリの液体に、透明の別の液体を注いだあと、
バーテンダーは、小さな銀色の粒をグラスにそっと落とした。
すると、グラスの液体は、いくぶんか、加熱されたようだった。
男の前に出されたカクテルからは、ほのかに湯気がゆらいでいた。
興味深く、それを凝視している男にバーテンダーは語った。
B
「ユサザリのエキスは、氷を入れて攪拌すると、味が壊れてしまいます。
そこで、冷やしたり、乱暴に攪拌せずに、
そっと優しくまぜて、化学的な手段で、少しだけ暖めるのが、
太古からの伝統的な作り方なのです」
男の目には、そのカクテルは、透明に見えた。
飲み干すと、少しめまいがしたものの、特別に、何かの感情が生ずるのでもなく、
少し穏やかな心地になった。
しかし完全に穏やかな心境か、というと、そうではなくて、
かすかな、焦燥感とも、悲哀とも言えない感情が継続したが、
男には、とうとう、
それを言葉にする自らの経験の記憶がないことを、認めざるを得なかった。
すると、バーテンダーは、少し苦笑しながら、言った。
B
「無理もございません。
お客様のせいではありませんし、
また、このカクテルのせいでもございません。
カクテルによっては、それまでに、経験したことのない、
新しい感情に、驚かれたり、感動される方もおりますが、
一方では、カクテルの結晶構造と、お客様の神経構造に、
適合しないものがある場合には、
その感情を、理解できない場合や、感じ取れないこともございます。
ですから、先ほど申し上げましたように、
お客様自身が、よくご存知の感情を、倍率を御指定の上、
ご注文されるのが、無難かと思われます」
男は、思った。
このバーテンダーの言うとおりだ。
さて、だが、そろそろ時間も遅い。
最後に、もう一倍、
今度は香織ちゃんとのエクスタシーだ。
そう、あの体の痺れるような快感に伴った、あの感情を注文しよう。
それで、このお店を出よう。
男は、その時の記憶の映像ではなく、男のその時の感情を、
はっきりと想起して、10倍濃度で、そのカクテルを注文した。
男は、椅子から転げ落ちて、しばらくは腰が立たなくなるほどに、
へべれけになったが、数分後には、正気を取り戻した。
家路につこうと、支払いをした男は、
バーテンダーに尋ねた。
男
「ありがとう。
今夜は、本当に、楽しかったよ。
この近くで、知人の葬儀があってね、
たまたまこのあたりを散歩していて、このお店を見つけたんだけど、
ホントに、最高だったよ。また来るよ。
ところで、あの沢山のボトルのリキュールとかは、
どこで作っているんだい?
知らない文字も多いから、やっぱり、外国産なのかな。」
バーテンダーは、少し微笑むと言った。
B
「それは、企業秘密でございます」
男
「またまた、もったいぶっちゃってさ。
うん、企業秘密なのは分かるけど、
それって、通販とかなら買えるよね?
それとも、現地の農家との直接契約なのかい?」
B
「当店のものは、全部ではありませんが、主なものは、
現地の生産者の方からの直納品となっております。
それほどまでに、関心がおありでしたら、
その果樹園に、これから、わたくしと御一緒なさいますか?」
男は、企業秘密とか言いながらに、妙に親切で、
ちっとも秘密主義でもない、そのバーテンダーに、
少し滑稽さを感じるとともに、これは、またとないチャンスだと思った。
まだ、終電までには時間はあるから、寄ってみることにした。
聞けば、本日は、バーテンダーの私用の都合で、
いつもより、3時間ほど早めに店を閉めるそうだ。
バーテンダーは、店を閉めたあとに、
リキュールの製造元のご主人のところに、
品質のチェックに立ち寄るらしい。
バーの裏路地で、男は指定された車の前で待っていた。
車は、ごく普通の黒の業務用のワゴン車だった。
後部のスペースには、丁寧に梱包された酒瓶らしきものや、
沢山の書類が、ちらりと見えたが、それらには違和感は感じなかった。
ただ、少し妙に感じたのは、
車の後ろと、ドアに少し目立つように描かれた、「印」だった。
少しだけ、魔方陣を思わせるものとはいえ、
たぶん、古い伝統的な、酒蔵の紋章か何かなのだろう。
そうだ、家紋のようなものなのだろう、と男は思った。
ほどなくして、店の鍵をしめたバーテンダーが、小走りに走ってきた。
男は紋章については尋ねず、黙って助手席に座ろうとした。
すると、バーテンダーが言った。
B
「申し訳ございませんが、助手席は、同業者の方のみとなっておりますので、
後ろのその座席にお願いします。」
男は後部の荷物の横にある席に座った。
静かに車が走り始めた。
取引先までは、車で約20分だと言う。
後部座席で、その見慣れない町の情景を見ているうちに、
やがて、車は、地方へと続く、直線の、長い橋の上を走行した。
しかし、何かが変だ。
速過ぎる。
スピード違反なんてものじゃない。
男
「おい、バーテンダー、大丈夫か?
140キロを超えているじゃないか?
おい、どうしたんだ?
自殺でもする気か。
勘弁してくれよ。
おい、止めろ。
車を止めろってんだ!
あう、ううぁ、うぁー、
お゛ぁーーーーー!!」
*
・
*
・
*
・
*
・
・
・
暗闇の中、
男は、自分がどこにいるのか、
車がどうなったのかも分からない。
バーテンダーの姿もない。
ただ、何もかもが、「捻れた」ような感覚がした。
体が、雑巾のように、何度も捻られたように感じた。
そして、目を薄くあけると、
男の網膜には、まぶしい光が差し込んできた。
そして声がした。
『あんた、ホントに、クズよ。
今日は、午前中に、子供たちをネズミーランドに連れてゆくって、
約束したじゃない。
これが最後の家族サービスになるからって、約束したじゃない。
それなのに、アンタ、いつまで寝てんのさ。もう3時よ。
子供たちは、二人とも怒って、どこかへ遊びに行っちゃったわよ。
アンタって、ほんとうに、サイテーの、口だけ男よ。いつも口先だけ。
来週には、離婚届けを出すから、
養育費だけは、払いなさいよ。
アンタの生きている意味なんて、それしかないのよ!』
もうすぐ、その男の妻をやめることになる、
その妻の、がなり声が終わり、
目を開けるまでに、数分がかかった。
強い西日が男の目に飛び込んできた。
男は、うわ言のように、曖昧な言葉を発した。
「俺自身が、原料?
俺がいる、ここが、産地?
俺が、あそこで、飲んだものは、何だ?
俺は、ここで、生きて、何を、作っているのだ?」
男が、体を起こすと、
天井のあたりから、一枚の紙が、ひらりと落ちてきた。
その紙には、こうあった。
『 地球産 品種=自己嫌悪。薬用根類。性別♂。
離婚後318日目に自殺予定。
その収穫の際の、感情の見積もり数値=8571−Luush。
うち6800−Luushは、違法営業店で、不正に摂取したものにつき、
本人生産物と見なさず、差し引き合計は、1771−Luush。
規定に定められた生産数値には足りないため、
再度、同じ畑に植え付けることとする。』
*********
余談・・・
●そのバーテンダーに、よく似た雰囲気の人を見かけたので、
ご一緒に、記念撮影をしました。
右の彼が、少し、はにかんでいるのが、分かるでしょうか・・・・・↑
モロに、「みうらじゅん」の発想です。
みうらじゅん の オモシロトークはこちら。
↓
http://miurajun.net/
ネットで見られるのは限られますが、
このあたりがわりと面白かったです。
↓
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/butsutan/tosyodaiji/butsutan/houdan02.html
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/butsutan/tosyodaiji/butsutan/houdan04.html
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