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「分割自我復元」
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[360]
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★分割自我復元★その360■ 重要 ★ 『無明庵の いま/むかし 』
by:
鈴木崩残
2014/06/09(Mon)11:48:13
まず、お知らせから
【 おしらせ 】
今しがた、十数人の人たちに、同じ内容のメールを送信しました。
原則として対外秘です。
ブログを書いている人も、書いていない人も含めて送信しました。
●それで、特に、ブログを書いている人は、
私が「*******をしてください」と、書いた部分は
決してブログでは公開しないでください。
ただし、それによって起きたこと、何かが変わった事がもしもあれば、
それはブログに書いてかまいません。
●ここで、
メールが来なかった人は、がっかりしないでください。
メールを出した理由、出さなかった理由は、
トラウマ、AC人格について、かなりよく掘れている人から、
ぜんぜん掘れていない人まで、「いろいろ」なのですが、
少し前に書きましたように、
段階の「2と3」、つまり記憶で掘り足りない重要な部分がある人、
あとは、掘っているのだが、感情が思い出せていない人、
この方々には、今回はメールしませんでした。
●なぜならば、その段階で、私が今回示唆した方法
(ただし瞑想の類では全くないもの)を試すと、
その原理から考えると、大変に効果的な方法と予測されるのですが、
まだトラウマと感情が十分に掘れていない段階で試すと、
「勘違い」「過大評価」「自己暗示」などに陥る可能性があるからです。
トラウマは、かなり掘った。
記憶も感情も、全部でなくても主要なものは掘り出した。
自我率も上がった。
しかし、しつこくAC人格に翻弄されている、
そういう人たちを選び、今回、同時にメールしました。
*********
「自我復元の全体像」
「あらゆる技法は、
準備の出来た人にのみ効果がある」
●タイトルに「重要」とある通り、いくつかある「重要」投稿の一つとなります。
全自我になったからといって、私は、たとえば死人禅の行法などを
やっていいとは、今は言ってません。
ちょっとやってみてください、という事があるとしたら、
ごく個人的に、調整を見つつです。
全自我になっても「調整不足」、「準備まだ整わず」、が大半です。
これは、当初は、自我復元というものは、単に自我の量を充填すれば
なんとかなると思ったものが、
「後天性自我」の場合には、希釈自我だったときに受けた圧力で、
容器自体が、あちこち歪んで、凹んでいたり、傷がついている、
ということが原因で、きちんとした形に自我の容器が整わない、
というところまでは、だいぶ前に分かりました。
●さて、機能不全家族という入り口から、当掲示板を知った人も、
ここ数年は増えていますので、「死人禅って、何それ?」という方も
多くなってきました。
簡単にいえば、ある「強引な調整法」なのですが、
これは、自我復元とは、全く関係がありませんので、
調べる必要はないです。
ただ、私に言えることは、その死人禅という技法は、
非の打ち所が全くないほど、完璧に出来ており、
技法としては、どこにもミスがないことです。
「技法」としては、まったく完成されたものなのですが、
ただし、「準備の出来ていない人」には、
「毒」にも「薬」にもなりません。
毒にすらなりません。
私は、かなり昔は、死人禅という技法を行う多くの人たちが、
結果として、自分の問題点をあぶりだす圧力になるかもしれない
と期待した時期があったのですが、
とんだ間違いでした。
もっとも、それが、準備のない人には、全く効果がなく、
無理であることは、1990年代から既に分かってはいましたが。
●害にすらならない、ということは、準備のない人には、
効果もなく、その者が効果だと思い込んでも、全く何も変化していない、
影響すらしていないということです。ただの時間と労力の無駄です。
というのも、死人禅が「影響を深く及ぼす」結果となる人たちには、
ここでは詳しくは書きませんが、共通した資質があります。
●さてここで話は、物事の「原理原則」の話となります。
どういう構造の仕組みであれ、
>より高次のものは、低次のものが、
>もう使い物にならないほどに、
>老朽化したり、劣化したり、枯渇したり、壊れたりして、
>再構成が「必要」となった時に、初めて高次が低次に接触してくる
という「大原則」があります。
●たとえば、前述した「死人禅」という技法は、
「例外なく」すべての思考が、使い物にならないほどになった時点でしか、
効力を持ちません。
あーだこうだ、他人に、しつこく自己説明しているような馬鹿者や、
批判精神ごっこに取り付かれた病人の阿呆が手を出すべきものではありません。
それと全く同じように、「自我復元の技法」というものは、
自らのAC人格、トラウマの記憶、調教に気づくこと、
これらを通じて、
もう絶対に、「今までの人格は、使い物にならない!絶対にだ」
そういう認識を、全身全霊で持った人、心底からの叫びを上げた人、
その人のところにだけ、自我復元は、効力を持ちます。
●というのも、AC人格が、どうにも使い物にならないと見限られたとき、
その時になってはじめて、それよりも上層の次元にあるものが
あなたに降りてくるからです。
AC人格を、適当に使いまわして、満足できていたり、
あれこれの不満を言いながらも、AC人格を貴方が見限れないのでしたら、
それは「召還される側」のものにとっても、失礼です。
「別に私の出番など、いらないだろう、お前は」と言われてしまいます。
●死人禅という技法でも、同じことが繰り返されました。
「別に思考など嫌っていないで、あい変わらず、自分を他人に宣伝して、
AC人格まるだしの、馬鹿ヅラをさげて、理屈を主張してて、
よくも思考が嫌だとか、無心がどうこう言えるな」
と、高次元領域からは、呆れられてしまいますし、
それ以前に、全く「無視」されて当然です。
●ただ、私がひとつ、手順が甘かったのは、
思考それ自体を捨てなければならない段階にいる人だけに
効力のある死人禅行法というものを、
それよりも、もっと初歩的な段階である、
親からの影響によるAC人格によって、
「まともな思考が使えない人たち」に、試してみてしまったことです。
これでは、効果があるはずがありません。
こうした人たちに、死人禅行法が全く効果がないことは、
1997年に、駄目出しをしてあります。
ただ、その原因は、まだ当時は、おぼろげでした。
●これまでに、死人禅をする準備が「ある程度出来ている」と私が
認識した者は、2人しかいません。
一人は、1993年に私に会った男性。
もう一人は、1994年に私に会った女性です。
この二人に共通していたことは、
「思考法」がAC人格のそれではなかったことです。
今思えば、全自我というわけではなかったのですが、
しかし、AC人格の「のさばり具合」は、相当に「軽度」でした。
この二人だけは、死人禅が効果を出しました。
●その二人以外は、以後は、2000年まで、
誰一人として死人禅を正しく出来た人もいませんし、
効果や弊害があった者も、一人もいません。
砂手の場合には、非常に特殊で、AC人格丸出しの、しかも感情まるだしの、
私から言わせれば、大馬鹿者だったのですが、
当時は、死人禅しか、技法がなかったので、
大変に準備不足の無理な形で圧力をかける事となりました。
しかし、機能不全家族問題については、
本人なりには、少しは掘っていましたので、
それが救いとなって、死人禅も効果を及ぼしました。
●1994年頃に、アルコール依存症の親を持ったACの事例は
いくつか分析した事があったのですが、
今から見れば、その分析法は、オモチャにすらなっていません。
*********
●つまり、結局のところ、大きな変化というのは、
「技法」がどれだけ完成度の高いものであっても、
その技法が引き込む次元を受諾できる「準備」が整った人のみに効果がある、
という事が証明されただけです。
●それと同じように「自我復元」というものも、
技法としては、相当程度まで、完成されています。
どの部分にも無駄はありません。
また、先だって、順序立てたように、記憶やAC人格を掘る「工程表」にも、
ぬかりはありません。
●しかし、では、どうして自我復元を始め、
しかも、単にちょっとやってみた、というだけではなく、
しがみ付いてでも、それに食いついて、
最後までやり遂げようと「決意する人たち」がいるのでしょうか?
単なる、AC人格が「悪用するオプション」としてではなくて、
「もう、AC人格などやっていたら、
何か、形だけは出来たように思い込んでも、
恋愛も出来ず、結婚も出来ず、
結婚できただけの事で、その後は、ちっとも思うようにならず、
就職も出来ず、アルバイトも続かず、何かを創作しても半端、
何かの研究や演奏をしても中途半端、
何をどうやっても、徹底的にAC人格が醜態をさらし、
これは、自分ではない、自分の探しているものではない、
こんなものに、満足などない!」
そういう「自覚」が明確になった人。
その人にしか、自我復元は効果を持ちません。
●実際、最初は、その自覚がなくとも、
掘ってゆく過程で、そういう自覚が出た段階で、
その人たちの報告は、前回書いたような、
「意識変化」の兆候を示していました。
なぜならば、自我復元は、怠惰で、
言い訳ばかりが長たらしい、クソ分かりにくい説明をしてばかりいる、
AC人格などには興味がなく、
それが、絶対にもう一歩も使い物にならないと自覚した人のところに、
降りてくる、上位次元のものだからです。
●これ故に、直接の暴力や、恫喝といった脅威なしに、
目立たない調教や洗脳や、無視、感染人格になっている人たちは、
痛みの自覚が薄いか、完全に麻痺しています。
しかしそれを思い出す事が出来た人たちがいるのも、
自我復元ブログを見ての通りです。
●ここでも結局、話は、無明庵の「初期の見解」と同じなのです。
「苦しんでいるという自覚的な苦を認識できていないような者には、
どんな技法も無駄であり、その者は変化などしない。」
今ならば、
「その者は、親の望んだように、親にいつまでも頼る馬鹿な子供で、
親の資金援助や、干渉なしには、何も出来ない子供のままにされた」
と言い換えることが出来ます。
●私自身が、そもそも、「苦しんでいる人」にしか助言できることはありません。
そのために、この世界に生まれてきた「一側面」もあります。
自分個人の作業以外に、その余剰分を契約で許諾したということです。
他方で、
苦しんではいないが、明らかな病人、
これも本来は、その射程に入れるかどうかについては、
本人からの委託や、申し出がないかぎり、
私が修理や治療をする義務はありません。
●そういうわけで、
私がこの世界に持ち込んだもののいくつかは、
個人的な目的以外に、何割かは、他者の苦痛に対する処方であった
ということは、この掲示板のどこかに昔に、書いたとおりです。
(他者に関わる問題:自分の職務が、4:6から3:7)ぐらいの比率です。
何かの側面で、助けられるかどうかは、自信は全くありませんが、
私の職務の一部であることには違いありません。
●ただし、「どうにかしてください、どうか、お願いします」と
患者から依頼もされないのに
自覚のない患者の治療のところに、しゃしゃり出てゆくほど、
私は暇ではありません。
また「仮病」もお断りです。
また、身体や身体感覚に問題や違和感があるのでしたら、
信頼できて、あとで後悔をしないような医師をちゃんと選ぶか、
あるいは、馬鹿みたいなお金を払って、
どこかの霊能者にぼったくられてください。
(原因が分からなくとも、ただ治ればいいという人が大半ですし、
せっかく、治っても再発する事も多いものです)
●私の持ち場というのが、本来から、
現実認識の選択、
思考構造の分析、
意識構造の解析、
自我構造の解説
こういったものに、生まれた時から、特化されているために、
こうしたもの以外の事は、お手伝いできません。
カウンセリングの唯一の利点
●世の中に既存する、プロの、つまり有料の、カウンセラーのところに
自分から駆け込んだり、親が送り込んだ人の話がブログや報告にもあります。
結末は、だいたい分かると思います。
ただし、私は一点だけ、既存するカウンセリングというものの中にある
「一要素」で、評価している点があります。
正しく言うと、評価しているのではなく、
医療産業であるという「社会的な仕組み」の結果として、
たまたま、そうなっているだけ、の話ですが。
●それは、カウンセラーのところに誰かが自主的、またはその他の
原因で、駆け込む時、
それは救急病院に駆け込むようなものであるという事。
ようは、
「自分は(あるいはこの私の子は)病んでいますので、お願いします」
という前提が、まずそこにあります。
つまり、
「普通のことが出来ない。普通ではない。
それは個性の問題ではなくて、明らかに、病んでいるのだ」
という自覚または、他人の評価によって、カウンセラーのところに
入ります。
●では、一方で、
瞑想道場やら、宗教団体や、能力開発訓練や、自己啓発と称するもの、
そうしたところに、皆さんは、
「私は、病んでいます。だからなんとかお願いします」
と、頭を下げただろうか?
否、あなたは、
確かに自分でなんとかしてやろう、と思ったのかもしれませんが、
「自分は絶対に、病んでいる」という自覚があり、それを断定していた人は、
自我復元をやってきた人でも、かなり少数派なのです。
●幸か不幸か、無明庵というところが、若干、オカルト的サイトだったために、
「自分は病んでいる」などという自覚で来たり、メールをする人はおらず、
「あそこの方法なら、何か出来るようになるかもしれない」
「馬鹿にした奴を、見返せるかもしれない」
という「AC人格の、劣等感で歪んだ欲望」によって、はじめるわけです。
●最初の入り口が、自我復元では、「分割自我復元理論」にも書いたとおり、
本来そうであった人間としての、何かのソフトかハードが、
「故障している」
「自我率が足りない」
「病的なAC人格」である、
しかも、
それが本人の責任の部分は(皆無ではないが)少ない。
という「大前提」から出発していますので、
修理を頼む形となり、しかも私が修理するのではなく、
「自己修理」の方法を助言する、という形です。
●このように、既成のカウンセリングが唯一、評価できるのは、
「病んでいるので、お願いします」からスタートする点である。
「どうだ、見てみろ、オレだって、ワタシだって、
やっているんだ。出来るんだ。わかっているんだ。」
というエゴの発表会などではない、ということです。
もしも、あなたの足が折れていたら、
それは、あなたの個性の問題ではなく、
足が折れているという「怪我の症状」です。
この骨折が「人格」に起きているから、人格障害またはAC人格と呼ぶのです。
●ですから、私と自我復元者の間には、
当事者しか分からない、独特の信頼関係があります。
その信頼関係の内容は個別に違います。
その、誰が強要したのでもなく、自然に発生した、信頼関係がないと、
皆さんの中のAC人格が、執拗に叫び続ける、
「オレ様は(私は)、ちっとは、マトモなんだ!
おい、あんた、それを見てくれよ」という声を、
医師に似た立場の私が、
何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、聞かされ続けるハメになります。
*********
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