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★分割自我復元★その523●【 雑記(いや「記憶商品」か) 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/07(Sat)06:19:25
・雑 記・
●この「雑記」という書き方ですが、雑草みたいで変ですね。
雑に書いているわけではありませんが、なぜ雑記というのかです。
死んでから、あとで、売り物になる記憶という意味で、
「売記」でもいいのかもしれませんが、なんかビジネスすぎますね、
●もしも私が外来の生き物で、この地球を徘徊しているとしたら、
やはり、「自分が面白そうだと思ったものをコレクション」します。
ただここで問題になるのは、個々が面白いとか価値があると思う分野
というものは、当然に、その主体の主観的な慣れとか、記憶とか
経験に依存するわけですから、
普遍的に面白いというものはありません。
私の知人に、健康問題にわりと気を使っているわりには、
いきなり、突然に、ジャンクフードというか、危険物モリモリの店に行く、
という人がいまして、それはその人の趣味なんです。
反動で逆に振れるという遊びです。
●地球という惑星から、もしも私が(搾取という意味ではなく)
収集するものがあるとすると、それはむろん私に固有の好みに依存します。
ただ、やはり、希少価値のあるものに目をつける傾向はあり、
数量としてたくさんあるもの、俗に言う、
ありふれたものには、興味はあまり惹かれません。
人の精神でもそうですが、つまらない善悪やモラルに全く無関係に、
とびきり、異質だったり、半端でなく変わっている対象物は、
やはり、目を引きます。
●ここで話は、シリアスになりますが、
人生の一つの指針にしても良いかもしれないものは、
先だっての「あび」さんのメールにもありましたが、
「売れる経験記憶」というものです。
自分の人生とか、今の経験というのは、
誰かがそこに入って経験するとしたら、誇りを持って進められるものなのか、
少なくとも「悪くはないよ」と言えるものなのか?
これを自問しながら生活をするということです。
●これは、そんなのは、自分にハードルが高いと思う人もいるでしょうし、
逆に、何でも、天邪鬼にしていて、
自分は他人とは違うが言いたいだけAC人格に汚染されている人とっては、
逆に、自分なら簡単に出来ると「思い込むだけ」で終わると思います。
●しかし、自分の今日一日、この一ヶ月、この数年、そして一生は、
もしも自分が全くの他者の経験記憶として買い取るとしたら、
気持ち良く買えるだろうか?と自問すること。
これは利他的という意味ではなく「自己評価」を客体化するということで
重要な作用をします。
とかく、無理のある自画自賛になってしまう人もいれば、
逆に成果を控えめに考えすぎている人もいれば、いろいろですが、
>自分が他者ならば、自分のこの人生を買うのか買わないのか?
>自分の人生の経験記憶は、売れるものだと思っているのか、いないのか?
これは面白い想定の一つです。
●ただし、踏んだり蹴ったりの人生の記憶だったり、
ウジウジし続けて、コミュニケーション障害で終わった人生、
つまり、AC人格満開の人格記憶を、
「こういう記憶を好む次元人もいるに違いない」とかいう、
あまりにも都合の良いこじつけによって、自分に値段を与えたい人がいたとしたら、
それこそ、今、どこかで拷問を受けている人には、
そんな苦痛も葛藤も全く敵わない、と心するといいです。
苦痛も中途半端、楽しみも「中途半端」なら、良い価格はつかないと思います。
●むろん、これはあくまでも「想定」という遊びです。
しかし、自分の経験していること、今経験していること、
過去に経験したこと、そして、それに対する本心の反応や、感覚や、
思考した内容、
それらが、自分で見ても、つまらないものと思うのであれば、
それが「自分を裏切っている」ということの意味だと私は思います。
●ここでよくある無明庵人格
(又の名を、うち限らず、どこの何を見ても、同じ反応をする金太郎飴AC人格)
に陥らないようにするには、
つまらないのに、
それを楽しんでいるんだ、面白いんだ、と思い込もうとすることは、
これには全く反します。
また、楽しんでいる様子は感情的で、知性的ではないから、
そういうものは、顔に出さないんだ、とかという他者承認、
または鈍感さも、全く駄目です。
それぐらいであれば、とことん、つまらないと徹底した、つまらないを、
自分の全身全霊に震わせて、それを、
「この上もなく、つまらなさを感じた強烈な、つまらない記憶」、
として価格をつけたほうがマシです。
●私がこの世界で見たきた、いろいろな人たち、いろいろなもので、
一番、つまらない、くだらない、反吐が出ると思ったものは、
「自己磨耗」している対象物です。
これは、AC人格の最大の特徴で、今となっては、コケにしますが、
これと格闘中の人は、コケにしてはいけません。
二つ以上の相反する思考や、動機があることに気づかないと
結果として、それは相手や環境にストレートに伝達されずに、
全く状況は何も変わらない、むしろ干満に悪化する、
という状況に明け暮れるからです。
急激に悪化するのは、まだ自覚を施しますが、
緩慢な悪化は本人が全く気づきません。
●「魔術」という言葉を使うならば、魔術の最大の注意点は、
自分の中の「動機」に分裂がないかどうかです。
二種類以上のベクトルが不適切な角度で干渉すれば、
エネルギーは必ず低下します。
それについて、詳細はここには書きませんが、
「あび」さんから、実に面白い報告を受けました。
それは、「あび」さんが、自分自身の「性妄想」の内容と、
それが何に起因しているのかを観察し、分析を進めたもので、
まだ途中なのですが、
私はそれを読んで、申し訳ないですが、相当に、楽しみました。
かなり久々に、ざっくばらんな下ネタを他者とやりとりしたのですが、
これは、論文を書けるぐらいに面白い内容でした。
●論旨のみを記しますと、
男女比でいうならば、これは圧倒的に、男性に多いのは「性妄想」の種類です。
強さではなく、性妄想の「種類」です。
女性は性妄想は男性よりも何分の一も少なくて、
頭の中で、あーだこうだ、こんなシチュエーションが興奮するとか
こういう妄想で抜きたいとかやっているのは、ほとんどが男性です。
むろん私もいくぶんか、妄想の手を借りることも過去にはありました。
●しかし、男性が、どういう映像や、ビデオや、シチュエーションによって
性的な興奮度が高まるかという、この個人差は、
実は、かなりバリエーションがあり、かつ、ここからが重要なのですが、
性妄想ぐらいは、自分の好みだ、
と思い込んで自慰を繰り返している男性のほとんどが、
その「性妄想すらも、毒親の息がかかっているケースが多い」ということです。
●具体的にいえば、少々アブローマルな映像や、状況に興奮する
というタイプの男性がいます。
私が見たところ、AC人格者の男性が好む映像は、
「暴力的」な要素がかならずあります。
複数の男性の相手をさせられている女性の画像とか、
ある種の拘束、無抵抗状態にある女性への性的な行為、
または、男性の身勝手な支配欲が強調されている映像や行為、
身勝手な男性の勝手な妄想につき合わされているだけの
そういう映像が氾濫しているわけですが、
その微妙なバリエーションの中に、
私は、いろいろな男性が家庭で受けたトラウマによって出来た、
「AC人格の影響」を見ることが出来ました。
格言を言っておけば、
「エロ画像見て、勃起させたり射精している時ぐらいは、
こんな自分でも自由なんだ、なとど夢にも思うなよ。」ということです。
実は、その好みの内容は、
「毒親の好んだ性的妄想」に関係している場合がかなりあります。
それも、本人は、全く疑問視もしていないのです。
(違和感は感じている場合もあるようですが、深く分析していません)
●そんなわけで、そういう話を、「自己分析」という領域で、
何かを分析させたら、ピカ一の「あび」さんと、メールでやりとりしていて、
最近では、ここ数年なかったぐらいに、久々の、
ものすごく「楽しい下ネタ」だったのです。私にとってですが。
内容としては、絶対的なまでに、シリアスです。
しかし、精神分析が絶対に避けてはならないものの一つが、
その相手(特に男性の患者さん)が、各自、固有に持っている、
「好んでする性妄想のコンテンツ」です。
これだけでも、その男性のトラウマの、半分弱ぐらいの正体が分かります。
蛇足ですが、いわゆるコスプレを好む男性というのは、
基本的には、歪んでいるものなのです。
フェチは、少し違っていますが。
しかし、コスプレは好みではない、と言ったところで、
それで、無自覚の異常性が払拭されるわけではありません。
今後は、ある特定の段階まで、トラウマが掘れた人、
特に男性に、自我復元報告の際に、
「性的に興奮する対象(どういう映像などか)」を、
詳しく書いてもらうのもいいかもしれない、と考え始めました。
しかし、実は、もうすでに、トラウマが掘れている人たちは、
そのことを、私からは頼んでないのに、
しっかりと、自主的に報告に書いてあるんですよね。
●こういうことは、特に男性において顕著な傾向で、
その男性が、どういうエロ画像、エロビデオ、またはプレイによって
性的興奮を起動しているか?という点は、
その人間生育環境に、問題があったかどうかを量る面白い素材なのです。
性の技法と相談を長く経た経験が、
いつか今度はトラウマ問題にリンクするのかもしれません。
●実は、本人が気づいていないだけで、
けっこう悪趣味な(心的問題に起因しているような趣味の)、
画像やビデオに興奮したり、そういうものをPCに保存していたり、
そういうもので抜くという男性を、
私は、身近にも、何タイプか見たことがしばしばありました。
そういう画像を好んだり、集めたりしていることが、
そもそも健全な性の領域を逸脱していることに全く気づいていない、
別に、こんなの普通だろうと思って、疑問を持つこともしてない、
性的趣味の者もいたのです。
このあたり(性妄想とトラウマとの関係)は、
私の研究対象としては興味を刺激される、面白い領域です。
*********
●という、楽しい下ネタの話ですが、キリがないので、ここまでにしておきます。
最後に、私が、今年、最も気にいった、
自分で撮った写真のひとつです。
これほど、爽やかな、信号機の表情というのは、
めったに見られなかったからです。
まるで秋空の下でくつろぐ、信号機の「バケーション」です。
この日、10/17に、自分の住む町で、広域の停電がありました。
1万世帯以上が停電したそうです。
この信号機が、まっ昼間から消えるというのは、
よほど、電力事情の悪い国とか地域でないと、
最近の日本では、なかなか、お目にかかれません。
変電所に落雷して停電といったものも、数年に一度あるかないかです。
今回の停電は、わずか15分程度で回復してしまったのが残念でした。
機種や電話会社にもよるのでしょうが、
携帯電話も不通となったので、通信の中継基地も駄目になったようです。
3.11の停電のときに、書いたと思いますが、
私は、町中あるいは広域で、停電などの理由によって、
一切の電化製品が、停止した空間というのが、とてもすきなのです。
ふだん、耳には意識的には聞こえていませんが、
かなりの種類の、非自然音である、家電製品のノイズを私たちは聞いています。
だから、停電になると、皆さんも、なんとなく「周囲が静かになった」
と明確に感じるはずです。実際に静かになっているのですから。
たとえば、町中の「自動販売機」のノイズも消えるのですから。
これが、自分の自宅だけ、ブレーカーを落としたのでは、何の意味もありませんが、
「広域の停電」であるほど、その静けさは大きくなります。
それをもっと味わいたかったのですが、残念ながら15分で回復しました。
●ふだん、当たり前にあるものが、
突然に、なくなるというのは、ある意味で、面白い体験です。
死の体験または、私が言うところの「近死体験」というものは、
それに少し似ています。
「少し」というのは、次の点で、それは主観的体験とは違うからです。
たとえば、自分のPCが故障するとか、自分の身体が動かなくなる、
そういうのは、「広域」の現象ではありません。
しかし、環境それ自体全体で、何かが停止するというのが、
そこにいる側にとっては、面白い経験なのです。
***************************
追 記
●少し前の投稿で書き損じましたが、
自我復元が全自我に達した人に、「杏樹さん」を記し忘れました。
そこに明確な切れ目がある人と「その境界線」が甘い人の二種類がいます。
杏樹さんの場合には、「事後処理」がゆっくりと進むと思います。
他の人は、急激というか、区切れ目が、はっきりしていました。
「マディアさん」と「あびさん」は、
「実際の誕生日よりも、こっちが本当の誕生日」とも呼べるような、
明確な日付があります。
「お姫ちゃん」は、少しだけ日付の境界線が曖昧で、
判定をする少し前からすでに、移動していた感じです。
「杏樹さん」の場合には、判定法が新規のものになってからは、
綿密なところは見ていませんが、大丈夫であろうとは思います。
ご自分で、まだ明確な自分像を描けないという形での停滞感はあるかもしれませんが、
基本的なところはおそらくOKです。
目算にすぎないので保証は出来ませんが、
「朱いはがねさん」「基幹房さん」、おそらくは片足はもう、
原主体に突っ込んでいると思いますが、
本人の中で、これだという、区切れ目を明確に自覚するときが、
いつかあると思います。
他の方については、一度出した全自我判定を訂正して、
ブログを消して頂いた方もいます。
が、やったところまでは、決して無駄になりませんので、
やったことそれ自体を無駄にするようなことをせずに、
そのまま、残っている問題点を、明確にしたいと望めばいいだけです。
親によって出来た、AC人格というのが、
どれだけ保身することになると、強固なものか、
それを桜の間の、いろいろな方たちからの報告で、頭だけでは、
一応、知っているのですから、
それは、簡単な敵を相手にしているわけではないのです。
大変であったり、困難であって、当たり前のことです。
だから、掘れないこと、AC人格を解除できないことを
恥と思ったり、他の人たちより遅れたと思わないでください。
これは競争ではないのです。
皆さんの原主体が死ぬか生きるかの「死活問題」です。
そういう、AC人格を動機にした自我復元で起きるような、
焦りや、劣等感や、または優越感に揺れること自体が、
AC人格そのものなのですから。
中でも、もっとも注意すべきことは、
「鈍感さ」「問題を感じなくなること」です。
問題を感じなくなることが、解決を意味するのではありません。
問題を問題として感じ続けて、「大問題」であるそのままままで、
しかしその問題に向き合えるようになったとき、それが、
トラウマを本当に見ることが出来たということなのですから。
たとえば「無干さん」が、ようやく辿り着きつつあるのがそこです。
そもそも、鈍感になって、問題を感じないことなど、
自我復元をする前から、多くの人のAC人格にとっては、
大の「お得意」だったはずです。
その鈍重さの中に眠りこける事が通用しなくなるのと比例して、
自我は回復していくのだと思ってください。
●ブログを見れば、見る人は、誰でも分かりますが、
なぜ、マディアさんにしても、お姫ちゃんにしても、
朱いはがねさんにしても、あびさんにしても、
それぞれに個性的な方法と経過ではありますが、
あれほどに、必死に、激しく、強烈で、困難な道を辿ったのかです。
どうしてだと、皆さんは思うでしょうか?
そんなの当たり前です。
自我復元というのは、AC人格の「自殺」なのですから。
そこでは、覚悟がいるに決まっています。
そこでは、葛藤があるに決まっています。
それは、「精神的」には、本当の自殺と等質なのですから、
追い詰められるに決まっています。
薬や、飛び込みでなら、AC人格を持ったままで、
何かの勢いや弾みで死ねても、
自分で、自分のAC人格を首を絞めるのですから、
すんなり自殺できる人などいません。
「AC人格だって、自分の一部で大切なんじゃないか」、などと、
そんな「ぬけぬけとした、自己肯定」なんかしている人に、
AC人格の自殺が出来るわけがないのです。
「変容とは死である」とか、
「死という通過によって人は変わる」とか、
「死が、大いなる扉である」とか、
「死を超える」とか、
あるいは、このページがテーマとしてきた「死」、
そして死人禅、など。
さんざんに、精神世界の中で、
「死」を美化してきた書物を読んできた人たちや、
死は悪くない、と言ってきた無明庵を読んできた人たちが、
いざ「本物の死」をちらつかせられたら、一斉に、逃げ出すのですね。
それもそのはずです。
AC人格にとっては、それは紛れもなく、本物の死ですから。
それだけしか、今まで自分の人格として認識していなかった人にとっては、
それは、まぎれもない死なのですから。
悟りの意識だの、そんなものは、どれだけ瞑想や座禅をしようが、
AC人格を、掘り出しつくさないことには、
それは「AC人格という座布団の上で、あぐらをかいているもの」にすぎません。
*********
●あぁ、そういう意味では、
基幹房さん、
やっぱし、もう、前のAC人格は、死んでいるかもしれないな。
だって、昔に私が知っていた、あの人、
もう、どこにも、いないんですもん。
*********
「十記丸さん」、最後まで、つき進んで下さい。
あなたが、最初に出会った師が示した道と、違わない道を、
今歩いていることに、あなたには、確信があるはずです。
「ぽぽさん」も同様です。
いろいろありましたが、「風琴さん」ほど、綿密にAC人格を
掘ろうとした人もいません。
あとは、自分をごまかさないことに徹底するだけです。
同じことは、ある時から、本当にトラウマ掘りになってきた、
まさに自分と親に対する怒りの報告を続けてきた、
「Kさん」にも言えます。
一生の間に、これ以上怒ったことはないというまで怒ったら、
そこから、どっしりと腰を据えて、
親が注射した毒人格を、自分の中から抜いていってください。
天音さんについては、私は私信で、エールも問題点の指摘も、
十分に送りましたので、以後、言うことはありません。
あとはどうしたいのかが、そもそも自分の中に、本当にあるのかないのかも、
自分で疑って、物事を決めることです。
黒九さん(実は、これは「クロック」と読みます)は、
形としては、事後処理が遅くなるタイプの人ですが、
腐って投げ出したり、こんなはずじゃない人格や、ちゃぶ台ひっくり返し人格や、
その他、以前に自己分析したAC人格をもう一度見直してみて、
他者承認や、なぜ、中途半端なところで、自己満足をしてしまい、
それがどうしてなのか、
について、まだ理解が及んでいないことを疑うとともに、
やはり、両親をもう一度、ずたずたにするまで、掘るといいです。
「渚さん」は、自分がすがりついている「雰囲気」とか「気分」、
「高揚感」または「絶望感」に対する自己演出をやめれば、
道は、見えてきます。
理想としたもののうち、特に、いかにも論理的に思える理想ではなくて、
率直に、自分の心情的な理想だと思っているものの出所を、
怪しいと思って疑ってみてください。
あとは、いつも、私が、心の片隅で、
ずっと心配してきたのは、女性の方では、
九州のMWさん、
それに母子家庭で頑張っているKCさん、
今年、久しぶりに報告を頂いたABさん、
しばらく、音信がありませんが、別居してもなお、
DV夫に悩まされてきたMさん。
「音花さん」は、たぶん前世を、自分自身の力では思い出せなかったと思います。
それよりも、貴女は、目の前にいる親を、一度、怒鳴り飛ばした方がいいです。
それと、就職が決まった、最年少のTさん。
自我復元を信じていいですよ。
この私ではなく、自我復元をした人たち、今している人たちのあの足跡を、
あなたは自分の目で読んで、信じられるはずです。
あとは、あなた自身が自分を信じてあげることです。
それと、今年、桜の間に、報告を掲載させて頂いた人たちには、
等しく、私はそれぞれに、意識を配っています。
その他、しばらく「復元報告」のない人については、記述しません。
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