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[567]
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★分割自我復元★その567●【前回の小説について】●
by:
鈴木崩残
2016/01/11(Mon)03:12:20
前回の「小説」について
●実は、あの話は、私が体験したことに基づきます。
ただし、そうは言っても、現実に起きたことではなく、
私が見た「夢」を元にして書きました。
その夢は、小説のとおり、
真夜中に、玄関のチャイムが鳴るところから始まりました。
ドアに向かって「どちらですか?」というと
宅急便だと言っていました。
「こんな夜中にですか?」とドアごしに相手に言ったものの、
夢の中で、私は、判子を手に持って、ドアをあけました。
すると大柄の男が伝票を差し出したのですが、
そのときに、男は、宅急便を持ってきたのではなく、
別の用件で来たことを言っていました。
その際に、その大柄の男は、私の顔に大きな懐中電灯のようなものを
押し付けてきたので、その時点で、異常事態、こいつは敵だと思い、
私は右手でその男の顔を殴りつけた、
そこで目が覚めました。
という私の夢が題材になっています。
夢から覚めてから、その話を砂手にしたら、
この恐怖物語の怖さが、いたく気にいったらしく、
もしも、タモリの「世にも奇妙な物語」調に、アレンジすると
どうなるかな、などと細かい演出について、しゃべっていて、
夢から覚めて、約30分後に、あの話を一気に書きました。
で、要点は、最後の解説のとおりです。
私の場合には、
反撃のパンチを相手の顔にぶち込んだところで夢が終わりましたが、
もしも、これが現実だったら、
真夜中に宅急便を装った不審者がやって来たという「事件」になっていますね。
*********
この話は、あびさんからの、こんなメールも関係しているかもしれません。
割愛して、一部のみですが。
*********
桜の間で、
>それは「自分の周囲の世界は敵ではない」、という最も基本的な安心感です。
と書かれていたことが、今、私の中でとどまっています。
これはどういうことだろうか、と。
それで、今、わかってきました。
私、私の育って家庭、私の親が私にしたことは、
「まわりは馬鹿だ」ということなのですが、
それのもっと本質的なこと、それが私に伝えたメッセージは、
「親が、まわりに怯えてる」
ということでした。
これは、かつてブログでも書いたことがあります。
だから、私が、それを見て思ったことは、
自分の周囲の世界(=家庭から一歩外に出たら、という意味)は、
危険だ、ということだったのではないかと思うのです。
そして、実際、保育園、小学校、という
「社会(家庭から一歩外に出た所)」で、
私はビクビクし、委縮していました。これが、その証拠だ。
で、そうだとすると、致命的なことが起こります。
まわりは「敵で当たり前」というふうになってしまうのです。
それは、成人してからもそうでした。
それが、もちろん、ACが歪んだ形で、
「あいつらは、馬鹿だから、しかたがない」と親と同じやり方で見て、
しのぐようになります。
それの一番大問題は、
やはり、ここに行きつくと思いました、
「安全の誤認」です。
毒親の「うちは他と違って」という、まさに、毒親一家のそこが、
理想の家族、安全の場だと思ってしまい、
まわりは敵だ、と言いながら、
ここは複雑なのですが・・・・、
結局、本当の意味で「敵だ」と、
それに対して、まっすぐに怒りすら向けられないのです。
というのも、安全の誤認から生まれた「敵像」だからです。
それは、馬鹿にしていい奴像、でもあります。
親が、私に、仕込んだのは、
まわりは馬鹿だ、敵だ、と自覚的無自覚的に言いながらも、
そんなこと以上に、実は、
「敵」という、本当の意味での感覚を殺したことです。
それは今、よくわかってきました。
安全を誤認させることが毒親の目的だからです。
安全とは、自分を死守することではなく(本当はそうなのに)、
「パパとママが安全なんだよ・・・逆らわなければね」としたことで
捏造し、洗脳した安全というやつだったのです。
だから、私は、今まで、
一歩外に出たその外で、どんなに居心地が悪くても、
「許せない」とか、
そういう怒りの感情をもったことがなかったのです。
本当の意味で、敵を敵だ、と思えなかったのです。
なぜなら、「安全」がわからなかったからです。
安全とは、まさに、自分が守られることです。
自分で自分を守ることであり、
親に守られることでもあると思います。
いずれにせよ、
「自分を死守すること」、これが安全だと思います。
この感覚がないままに、というか、自分でも自分を裏切り、
親にも殺され、自分を守ることがぜんぜんわかっていないまま、
「敵に対して、怒りや、それから守ろうとする感覚」が壊れている、
という事実です。
中略
今は、そう思う自分がおかしい、という感覚は取り戻せてきています。
敵を敵だ、という認識がないのです。
そうやって生きてきたからです。
つまり、
>それは「自分の周囲の世界は敵ではない」、という最も基本的な安心感です。
この安心感があるから、敵がわかるのだと思いました。
私にはこれがなかった。
だから、敵もいなかった。
皮肉にも、父は、
「パパはダメなパパだけど、でも、一番強い。
なぜなら、敵がいない、無敵だから(ニヤニヤ)」
としていたが、本当に、その通りだったんだって。
私は、今まで、食べ物の安全なども、
まったく関心がないまま、生きてきました。
これも、皮肉にも、母は、聞き取り調査の時、
「昔、野菜とか僕は好きじゃなかったよね」と言ったら、
なんといったか。
「野菜なんて、食べさせなかったわよ。
もうね、手作りとか、そういうのがいいのよ〜なんていう親、大っ嫌い。
うちは、お菓子食べさせてまーす、って
保育園の先生にも言ってやったわよ。手作りの何がえらいのかって」
だとさ。
毒親の極致だ。
つまり、父も母も、安全もなにもかも、
彼ら自身、何にもわからず、
ただ、AC全開で生きて(死んで)いただけ。
そして、彼らの悪意、思惑の通り、
そして、私も自分を裏切った結果、
まったく毒親と同じように、
安全が何なのか、
本当にそれから守られねばならない敵とは何なのか、
それが、ぜんぜん、わからない人間になってしまった。
というのも、
私が、もしも正しく敵を敵と判断できるようになったら、
真っ先に「敵だ」と知るのは、あいつら、毒親両親だったからです。
そんなことはさせまい、としたのが、するのが、毒親です。
何が敵か、
それは、毒親であり、
私のなかのACであり、
それらがやろうとしていることは、子どもに対して、
「安全感の破壊」です。
これは、イコール、自己破壊です。
いろいろ思いました。
自我という壁の破壊でもあります。
となれば、そもそも、自我の希釈という犯罪も、
やっていることは、安全感の破壊、要は、安全感の麻痺であり、
「敵が誰だか」をわからなくすることで、
そうやって、食べ物にしろ何にしろ、
そこに「人為的な悪意」があることが見えなくなってしまうのです。
人為的な悪意に気づける、というのが、
「安全という感覚のベース」にあるんじゃないか、
というのが、今、私が思う、自分の中での安全の基準です。
これが、私は最初から壊されてきて、
今、自我復元をやっていく中で、何を守らねばならないかが、
だんだんとわかるようになり、
そうして、安全という感覚が、ようやく芽生えてきたように思うのです。
食だけでなく、他人とこれから過ごす場合も、
安全については、まったく同じことが言えると思います。
「ここは安全だよ」じゃないんです、やはり。
それでは、今まで私がやってきてしまったこと、
つまりそれは、私が育った家庭、毒親が、
「ここは他と違って理想の所だよ」という洗脳と同じで、
そうではなく・・・といって、
「これが敵なんだ」と言ったりするのでなく、
ただ、そこが、本当の意味で、「安全」ならいいのだと思います。
崩残さんは、記事の中で、
>大きな愛ではなく、大きな「関心」
と書かれていました。
関心、これは、私は、「観る」ということかな、と思いました。
自我復元がやってきた通りのことです。
ただ、すべてを観る。
他者が目の前にいても、同じ。
観る。
これが「関心を向ける」ことでもあるのだと思います。
何も、すごいことをする、とか特別な何かをするのでなく、
観ることが、即、関心を向けていることなのだと思いました。
あの馬鹿親は、何をしたかと言えば、
お前たちこそ毒、敵なのに、
「うちは他と違って」といって、
まわり全部を「敵」かのように洗脳し
(言葉だけの実感のない敵像です)、
何をしたかったか、といえば、
自分たちが子供の敵である、という事を隠そうとしただけだ。
あなたたちがやってきたことが毒であり、
そういう毒親のあなたたちこそ、
自我にとって最大の敵であり、
最も許せない敵、イコール、AC人格だったのです。
人為的な悪意なのです。まさに、その毒は。
一言で言ってしまえば、
「保身のためなら、子どもなんてどうなってもいい。
オレだってワタシだって、そういう目にあってきたんだから、当然だろ」
が、彼らの主張です。
でも、これは食の世界でも同じだと思います。
自分が死なないためには、まわりのやつなど、どうなってもいい。
自我復元をやってきたからわかりますが、
「自分が死なないためには」と言った時点で、
自分の尊厳を自分で殺しているのです。
自分を殺し、まわりも巻き込む。
毒を連鎖させ、終わることのない毒の連鎖地獄です。
元の毒は、「自分を裏切る」という毒です。
だから、親は、絶対に、子どもが、
自ら自分を裏切らないと、やっていけないような状態へと
追い込んだりしてはならないのです。
私は、特に、今後、子どもと接する時は、
それだけはしない、と強く決心しています。
それが、「私の生き方」だからです。
食の安全、他者の安全、
これ、結局、私自身の安全のことで、
生き方のことであって、
そこに利他も利己も、何の安全か、もないのです。
己を死守すること
これが、やはり、私は、
私の生き方になります。
中略
昨日、はじめてこう思ったのです。
たしか、実際に、自転車に乗りながら、こう声に出しました。
「ああ、なんか楽になったぁ」
中略
私は、
「自由だ」
と、これもはじめて思ったのです。
それはどういうことかというと、
もう、「大人の私と、さようなら」ということです。
私は、今、なんとか、子どもの私に戻ろうとしています。
というのは、もう、私が今まで持っていた価値観は、
「すべて」いらないからです。
すべて、です。
そう思いました。もう、本当に、何もかも、です。
不思議な感覚ですが、
大人の私が何かになったのではなく、
大人の私が何かにこれからなるのでもなく、
大人の私と、私は、別れたのです。
そして、入れ替わる、というといいのでしょうか、
この身体ごと、
昔の「出てこれなかった、陽の当たらなかった子どもの時の私」に戻る、
ということを、私はしたくなるのです。ここ数日、ずっと。
たまに不安になります。なりました。
でも、私は、今、こう思っています。
新しく作る、さら地から作る、というのは、
何も、マジックのように、ポン、と思いもつかないような
「今までとは違う未来を描ける」ことではなく、
実は、結局、これは崩残さんが書かれていたことですが、
「戻ること」なのだと、感じています。
今日、思っていたことがあります。
自我復元をしてきて、はじめて思ったことでした。
肩の力が少し緩んだ、と。
中略
子供のときに、
なんともへんな気持ちがしました。
その感覚は、うまく言えないのですが、
「堂々とできないもの」がそこにあるのです。
肩身の狭い、という状態な感じです。
なんか、はっと「気づかされると」
リアリティーが消える感じです。
それは親による
「あなたがいるべきは、そこじゃないんだよ、本当は」
というメッセージに従って、
経験が中断、あるいは、おしまいにされる感覚なのです。
きっと、そうしたのだと思います。
毒親が、それこそ、悪意で。
「一人で自由にやらせておいて、後で潰す」
という、猛烈に非道なやり方です。
この「後で潰す」が最低だったのです。
「こんなのは」といって、口では言わず、
目でそれこそ伝えてきました。
それも非常にわかりにくく、だと思います。
だって表面的には、いい親をやっているわけですから。
態度にすら、あらわさないのです。
真意だけを、放っているのです。
だから、私は、どこかで
「こんなのは」と思ってきたところが確実にあって、
気づけば、何もかもが「こんなのは」になってしまいました。
でも、今、私に、
「こんなのは」
なんてないんです。
この今開けている、見えている世界が
私の世界、自由に生きていく世界なら、
何もかもが、好奇心に満ちています。
昨日、ただ「青信号」を見ただけで、
興味がメラメラとしたほどです。
おお、って。
中略
今までと違うのは、
「これが私のやりたい事なのだ」とは思っていないことなのです。
やりたい「事」を見つけたのではないのです。
やりたいことをやっていた私を、見つけたのです。
だから、その私が今もやってみたいと思うことを、やってみたい、
というだけです。
何の意味もなくてもいいのです。
だいたい、何の意味もなかったはずなのですから。
子供のときには、本当に、こういうことが、楽しかった。
中略
昨日も思いました。
阻害されないで、自由を手にして、
だからこそ、誰のせいにもできず、
まさに「自分の生」を、自分の頭と心と身体で
生き尽くせるんだ、って。
今、私が毎日やろうとしていることです。
今の仕事だって、ただの仕事じゃあ、ない。
「ここで生きているんだ。今、私は。」
そう実感しながら、昨日、仕事をしていました。
私はどこにいるか?
そこにしかいないのです。
あび
_______________________________
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