▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[637]
■
★NO.637/ブッククラブ回−ニューズレターの発行 & 『既知ではない世界へ移動する場合』
by:
鈴木崩残
2016/10/09(Sun)20:53:12
>文中に博士君の過去の動画の編集版を2点追加しました。
☆ブッククラブ回さんの
ニューズレター☆
今週中には、会員の方には届くと思います。
また、今回、新たに「ニューズレター」の購読を希望される方は、
ブッククラブ回さんへ申し込みをよろしくお願いいたします。
↓
http://www.bookclubkai.jp/
info@bookclubkai.jpまでどうぞ。
●それと、ニューズレターの今回のインタビューには掲載されなかった、
残りの内容は、既に下記の投稿中に満載してあります。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S631
↑
先月9月の末ごろに、出稿の締め切りを控えて、
回さんとの間で、メールと電話とFAXで、
慌しく、コンテンツを詰めていた様子です。
ちょっと悲しい記憶になってしまいますが、このとき、
博士君はまだ生きていました。
★数年前の博士君の動画を編集してみました。
一部、ラインお嬢様や、昨年他界したブリジットも入っています。
また、今まで未公開の動画も編集してあります。
その1
その2
*********
本当の異世界への移動は難しい
●これから話すことは、説明するのが難しいのと、そもそも、
こういうことに関心のある人そのものが、圧倒的に少ないと思います。
人間、特に、今のここの、そして、この時代の人たちは、
自らが死んだ場合には、多くの場合には、
ついさっきまで生きていたときの性質や、その時の望み、そして世界観を、
まるっきりそのまま投影します。
昨今のスピリチュアル世界などは特にそうです。
その結果として、その人に同調する世界に振り分けられたり、
もしも意志と呼ばれるものが、なんとか作動するのであれば、
そこで何かの契約も成立することでしょう。
しかし、人が死ぬ前と、死んだ瞬間に思い描くことのすべて、
そして死後の世界に対する、希望でも、期待でも、恐れでも、なんであれ、
それは全部「こっち側」で、誰かから聞いたとか、何かで読んだとか、
そう考えたり、そう信じてただけのもの、そう信じたかった、
というもので色づけされています。
また、そうした信念体系だけではなく、人間として生きているときの、
平素の知覚の内容、慣れた身体感覚、記憶、そうした生理的なものすら、
本当に、裸一貫の意識で死にたいときには、実は邪魔になるのです。
または、本当に異質な次元に移動しようとするならば、
こっちの世界で、ごちゃごちゃと、いじり回したような、体系とか、方法論とか、
そういうもの全部が、結局は、こっち側に観念が(=意識が)、
引っ張られたままになる要因になります。
そうであれば、あっち側をこっち側の色に染めようとしているだけで、
ちっとも新しいものはない。あるとしたら、ちょっとした改変だけ。
一番上手い方法は、死んで移動する、そのときにだけ、
自分の記憶を喪失して、全てに無関心になり、
その後で関心が再起動するように自己暗示をかけておければいいですけど。
********
さて、それはそれとして、
数日前に、私は横たわって、死の世界に意識を向けていました。
ここで、とても重要なのは、既に書いたように、
死後の世界はこうだろう、ああだろう、こうに違いない、こうあってほしい、
といった思考は、何もかもすべて、「こちらがわ」の、
ここの現実を持ち込もうとする結果になってしまう点です。
そうした汚染、色づけをされない意識のままで死ぬ方向を目指すのであれば、
全く何も思考せず、期待も恐れもせず、ただ死の方向へ、
沈黙した意識を差し向けること以外のことを、何もしてはならないのです。
その場合に、決定的な要因となるのが「無関心」です。
こっち側の世界に対する、本物の無関心。
こっちの世界が嫌とか、嫌いとかではなく、本物の無関心。
本物の無関心は、自分のやりたかったことをやり遂げないと生じません。
そして本当の無関心だけが、本当の沈黙と無思考になり、
その中で、そっと、死の方角へと意識を向けたときには、
こっち側の世界で、自分が癖として好んだり、傾倒したり、信じていた、
そういうものに汚染を受けていない、異質な世界への裂け目が出来ます。
私もあまり使うことのない裂け目ですが、
これは、「こっちがわのもの」、
つまりは、これまで生きてきた全てのことを持ったまま、
その中で経験した何かを信じているうち、
何かの目的のあるうち、
何かしたいことがあるうちには、
決して開きません。
また、身体感覚も邪魔して、
身体との自己同化が強すぎても、その裂け目は開きにくくなります。
かといって、体外離脱を使おうとしても、上手くいかないケースが多いはずです。
なぜならば、体外離脱をする人たちは、その離脱をもってして、
そこで死ぬ覚悟まではしていないからです。
あとで、こっちがわに戻ってくるのが当然、という前提があると、
あっちがわへの道は現れないからです。
●それで、私が一瞬、時間にしたら、ほんの数秒、あっちがわで経験したことは、
そこへ入ったら、これまでに生きていたと思っていた現実が、
スライドを取り替えるみたいに、たったの2秒程度で消え去ってしまったことです。
まるで「はい、終わりました」とばかりに、
それまで現実をなしていた現実世界という舞台のセットが、高速で片付けられてしまう。
そして、クロスフェードするように、あるいはスライドショーのように、
あっと言う間に、次の現実が用意されていて、数秒で自分もそれに適応してしまう。
あまりにもあっけなく、それまでの現実が「片付けられた」ということも、
どこか唖然とさせられるものがあったが、
普通に私達がこれを理解できるとしたら、やはり夢から覚めるときである。
かなり印象の強い夢でないかぎりは、夢から覚めたら、
急速に、起きている現実感覚がそこに入れ替わる。
死後もそれと全く似たことが起きるのであるが、ただしたぶん、
多くのほとんどの人たちは、こっち側で生きていたときに信じていたもの、
そして望んでいたこと、そういうものの延長によって、
次の生の選択をするだろうから、期待したほどには異質なところや、
自分が驚くような行き先を選択できるかどうかは疑わしいです。
とにかく、行く先にもよりますが、
「こっち側」のものを向こう側へ持ってゆけない場合があります。
こっち側のものを持っていって、それが通用したり採用されるような次元は、
厳密には、あっち側ではなく、こっち側の一部と重なっているから。
むろん多くの人たちは、いくら宇宙的な何かを信じたりイメージしていても、
あくまでも、こっちがわの世界で見聞したり信じたものなので、
このあっちとこっちの「円の重なった部分」を、移動に使うしかないと思う。
しかし、こっちと重なっていない、あっちがわというものがあり、
そこへ飛び込むように、ではなくて、「すっと」、音もなく移動するには、
こっち側で形成された、どのような古い、または新しい信念体系も、
あっち側へスライドするには邪魔となる。
繰り返しますが、邪魔になるのは、こっちがわの「すべて」です。
ここで何十年か、あるいは幾つかの生を繰り返したきた何百年かの、
思考も、記憶も、好みも、目的も、理想も、願望も、恐怖も、
何もかも全部が、邪魔になるので、
簡単にいうと、まったく無思考状態で、無願望で
なおかつ意識だけは、その死(あっちがわ)がある方向へじっと向けている、
という特殊な状態を作り出す必要がある。
数秒間ですが私が、そうした状態で、あっちがわへ一瞬入り
そこで観たものは、「抽象画のような」奇妙な世界だった。
それは私にはまだ理解できないので、私の意識の中では世界を形成していなかった。
そのために、色のついた平面的な絵のような世界にも見えた。
それまでに経験してきた、こっち側での経験に色づけされないような、
本当に異質なものに接すると、それは抽象的な模様などになり、
それが次第に理解されるに従って、立体になったり、色彩や形状や、
運動が認識されるのだろうと思う。
ただ、この移動、この入り込み方というのは、
かつての芸術のように、
あっち側のものをこっちがわに持ち込むのが目的ではなく、
こっち側が、あっち側に「行く」ためのものです。
持ち込むのではなくて、ここを捨てて、あっち側に移動するのが目的です。
従って、これをむやみに、無目的にやると、
それは、こっち側で生きるためには何ひとつも役立たないばかりか、
生きながらに、こっち側で必要最低限の、生のスキルをも捨てることになります。
死んでから、こっちがわの事に、無関心になるのは問題ありませんが、
私のように、生きているうちに、こっち側の事に無関心になってしまう状況というのは、
なかなか生存するには難しい状況に追い込まれます。
この、無関心を乗り物とするやりかたは、あくまでも、
慣れた既知の世界に生まれるのではなく、上手く未知の死の世界へ移動して、
しかも、一切の作為を感じさせないように、何食わぬ顔で移動する、
そういう特殊なものだと思います。
普通の人たちは、
こっち側の世界で夢見たことを投影しようとするだけですから。
もっとも、こっち側の世界で夢見たことに、あっち側の現実を重ねるという、
前述したような重なり部分を使うのが、
安全でオーソドックスな手法なのだから無理もありません。
最後に、今回の話の「要点だけ」を言いますと、
こっちがわの世界のものをひとつでも持っていけない死後の世界、
こっちがわの世界の記憶から出来ているものを、
捨て去らないと、移動が出来ないような死後の世界、
そういう領域があるということです。
そこは伝統的な安心感のある部品で出来た世界ではないようです。
また、こっちがわの世界に対して、真の無関心になった状態でしか、
その裂け目は開かないようです。
仮に、裂け目を生ずるために、わざと騙し討ちをするために、
一定時間だけ、自分を完全な無関心状態にするにしても、
それは自分を崩壊させかねないような危ない橋をわたることになります。
あくまでも、たとえですが、
ドライアイスに触れれば、数十秒間でも、それは細胞を破壊してゆきますから。
ただし、それを安全にした技術、安全にする技術は、あるはずです。
なぜならば、こうした「生身の人間」がやると危険なことをさせる、
それこそが「機械」の役目なのですから。
私の推測ですが、たぶんタイムマシンも同じです。
生身の人間がやるには危険なファクターを、そこに発生しなければならない、
だからこそ、機械にそれをさせるのですから。
_____________________________
★
.
返信 [637]
<<-- これ以前の投稿 10件
(637 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -