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【富士山信仰の終る日】
by:
ほ う ざん
2004/07/21(Wed)13:12:20
58.148.192.61.east.flets.alpha-net.ne.jp:61.192.148.58:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
「富士山は日本人にとっての乳房である。
よって、富士山から、乳離れしなさい。」
●落語や漫才で言うなら、「つかみ」をどういった文言にするか
で、悩んだのであるが、今回はこのようなタイトルとなった次第である。
なお、本論の本質を誤解なく理解するためには、
前回の 「地球幼年期の終り」 を一読する必要があるだろう。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T3143
●富士山という山については、古来からさまざまな伝承があり、
また、その山岳信仰の歴史、登山の歴史といったものについては
アカデミックな文献にも残っているわけであるし、
また、少々、オカルトじみた分野では、
結界を構成する拠点や頂点のひとつと位置づけられたり、
レイラインと関連づけられたりもしてきた。
さらに奇書や偽書と言われる、異端的な古文書によれば、
6000年以上前から、真の高天原であると称する朝廷が栄えていたが、
それらは溶岩の下に没したという伝説まで登場する。
何かと、こうした情報、臆測が錯綜するのが富士山であるし、
私もかつては、結界的な「拠点」としてみていた事もあるし、
神秘学研究者にとっては、日本の中で、
「火と水の繋ぎ目」としての位置付けもあるようだ。
実際、噴火という火と、それを静める水というごく初歩的な
こじつけ的構造からそのように位置付ける見方もあれば、
日本列島を分割した場合に、そこが火と水の「間接となる」
という説もある。
●富士山については、おおざっぱな歴史ならば、皆さんも、
ネット上でも調べることは出来るだろう。
古くは、紀元前にまで遡り、また日本神話の時代にまで
逆行してしまうのでキリがないが、
事実かどうかは別としての「神話的伝承」で言えば、
「聖徳太子が名馬で天空から山頂へ」と言われるのが、西暦598年ごろ。
そのすぐあと頃に伝えられている役小角(えんのおづぬ)
(別名/役行者)が飛来往復したといわれるのが、680〜699あたり。
言わずと知れて、彼は山岳信仰の伝説的開祖でもあり、
忍術や修験道の「ご本尊様」でもある。
そのまるで天狗なみの記述を伴う伝承内容の事実関係はともかく
として、とりあえずは「実在した」といわれている人物である。
●その役小角が呪術・真言などを教わったのは、
飛鳥寺の「慧観」という僧からと伝えられていることから、
彼が会得した呪法の出所というのは、純神道系のものというよりは、
聖徳太子が持ち込んだ中国的にアレンジされた多神的仏教や、
もっと直接的には、道教的な呪法であった可能性が高い。
●その後西暦699〜1083年ごろまでは、度重なる火山活動や
噴火、噴煙により、富士山麓は、
とても人が定住可能な地域ではなかったと思えるのだが、
この時代の699年、富士山麓で最古と言われる御室浅間神社が
建てられたと言われている。
その地域の資料を見る限りは、その後も、神社に限らず
寺なども、いくつかは、1083年の噴火までの時期に立てられている
という事から、おおよそ、この火山活動の激しかった時期の
600〜1100年までの約500年間を、
「有史」にある富士山信仰の「第1期」と、私は、仮にしてみた。
鎮魂のための神社仏閣が、まだ「点在」していたという
程度の時期である。
●これが1149年頃に末代が山頂付近に大日寺を建設したあとから、
親鸞などの登山も続き、こののち、一気に富士山は、
時の権力者たちにとっても、山岳信仰の対象となったもようである。
戦国、室町から徳川幕府の成立までの期間、これを
富士山信仰の「第2期」とすると、さまざまな武将たちや
行者、御師などか山麓に集まり、
また麓で、山伏たちが道者の案内をしていた宿屋を
運営していたのも、この時期であろう。
●「第3期」は、言うまでもなく江戸の富士山ブームである。
●「第4期」は、明治政府によって神仏分離令などが執行されて、
おそらくは、富士山麓に神仏習合の状態で混在していた仏閣や神社も、
かなり、無秩序かつ乱暴に、破壊され、
整理・統合などされたに違いない。
●「第5期」としての、その後は、終戦後から現在の観光、
登山ブームへの俗化であることは、言うまでもないことである。
かつての山岳信仰の対象としての富士山や、
命がけで登った時代、富士山の霊力を信じていた時代とは異なり、
現在に至っている。
●では、その山岳信仰を支えていた
地元の、いわば先住民たち?その他の民族の生活形態や、
当時の農作物、陸路の発達はどうだったのかと言えば、
これほどまでに噴火を繰り返した山の麓で定住する事は
極めて困難であろうから、そこには「純先住民なるもの」は存在せず、
地形の変化や時代により、入れ替わっていったものと考えられる。
仮に富士山麓近辺で縄文人の遺跡が発掘されたとしても、
それは「その時代に」人がいた、という事にすぎず、
「その時代の人」が今も続いている血族の者であるという事では
全くないのであるから。
●そこらあたりの記録というのは、たとえば、
河口湖であると、下記の「勝山記」では、「ある程度」の昔
(西暦1400から現在)の住民の暮しについては知ることは可能である。
ただし、やはり、末代あたり以前(1100年以前)の記録については
詳細の信憑性は薄くなる。
↓「勝山記」
http://www.fujigoko.tv/furusato/bunka/act02.html
●「その他の勝山の資料」
↓のサイトの「文化財」などのコンテンツ内にも、
ちらほらと、約1000年前ぐらいの記録の断片だけはある。
↓
http://www.fujigoko.tv/furusato/index.html
●さて、歴史など大嫌いな私でも、ある程度のあらすじを押さえた上で
これからが、いよいよ、話の本題です。
私がここ数週間ばかり、富士山に興味を持った最大の理由は、
歴史的な伝説からでもなく、また結界やレイラインといった視点から
でもありません。
それは、富士吉田の登山口付近や、富士五湖周辺の民宿に知人がいるせいで、
週に一度ぐらい、車で遠出をして、
あの富士山の周辺の湖や神社を回っているうちに、
麓の「現代の住人」の性質を、初めて、
改めてよく観察するようになり、
そこから、ある推測(私なりの結論)に至ったわけです。
神話・伝説・歴史を見るよりも、
「現在そこに暮している人々」の「意識の状態」を見ることによって、
私の中に、「富士山とは何であったのか」の答えが見出せた
と言えるのである。
●∞●∞●∞●
「土地が貧しかったから、人の心も貧しい」
なんと、「地元の人間」ですら、自分たちを称してこのように言うのを
私は、何度も聞いてきた。
そして、実際、不思議なことに、
少なくとも千年以上にも渡って、山岳信仰の拠点となった
麓の集落であり、宿坊などもあったにも関わらず、
富士五湖周辺には、文化と言えるものが全く育たなかったのである。
文化のみならず、精神性さえも。
そして、地元民が聞いたら、怒りそうな記述になるが、
以下は、どれもその地元の人から直接に聞いた内容である。
ひとことに言えば、富士山周辺の集落というのは、
1/火山質のため土地が貧しく農作物が限られていて
食べて生きるのに、せいいっぱいで、
文化を生み出す余裕などなかった。
2/気候が厳しい。
3/精神性に欠け、話題が近辺の住人の噂話しかなく、
視野が極端に狭く、他の文化に無関心。だから話が面白くない。
(これはその土地に外から嫁いできた人達がよく言う言葉だった)。
この原因は、余所の文化に対する
極度な無関心に由来するものらしい。
4/今だに血族結婚しか許さない集落などもあり、
村でも「組」が別れている。村の中でさえそうなのであるから、
こと、余所の土地から来た者に対するよそ者意識には異常性すらある。
5/商売(観光産業も含めて)に対するポリシーもなく、
業者のほとんどが、いいかげんでやる気がない。
都市部のみならず、普通の地方社会ですらも、
断わられてしまうような、ずさんな仕事のし方を平気でする。
(私がその民宿の人や、その人の人づてに聞いた話では、
仕事の予定をすっぽかすなど当たり前。)
とまー、一見すると、日本全国どこの地方社会にでもありそうな
閉鎖性とか「なーなー主義」とか、
村では、他に頼むところがないもので、そのせいで、
地元業者が向上心がなく、甘ったれている。
いわば、「地方では、よくあることだ」、とも、言われそうだが、
富士山周辺には、さらには、
田舎に独特の人の素朴さもなければ、人情も薄く、
とにかく、地元人にさえ「心が貧しい」と言われるほどに、
「 何 か 」が極端に希薄なのである。
●たとえば、よそ者に対する敵対心でも、
別の地方になると、もっと集団的に結束した力を持ったり
攻撃的なものとなるのであるが、そうした迫力はなく、弱々しい。
考えてみれば、いくら「地元だ」「よそ者だ」と、のたまったところで、
「古都」のように、千年、2千年と歴史のある地元民であるわけもなく、
また、そもそも地元としてのプライドを持つに値する文化すら
なかったのであるから、
その地元意識自体にも、確かな根拠がないということから、
極めて文化的根拠や、精神性に基づく自尊心には欠しく、
実に、ただただ、弱々しい「地元意識」というのを
感じることが出来るのである。
●また、江戸時代ごろには、地主と小作人という主従構造で、富士山麓にも、
ある程度の農家(水田ではなく)があったようだ。
他にも織物や竹篭づくりなども。
それらを持って行商に出たりしていたようだ。
この地方の人達が白米を「日常的に」口にしたのは、世界大戦終了後の
配給によって、とも伝えられる。
そして、地主が、いわゆる「土地」というものに固執するのは、
他県と変わらない性質なのであるが、他県と違うのは、富士山麓は、
「商業的価値」においても、
「農地」としての価値においても、ほとんど無価値であるか、
もしくは、それを有効に活用出来るのは、
「地元以外の企業のブレーン」であるにもかかわらず、地元民は、
ただ何の根拠もなく、土地の所有権に固執しているようである。
つまり、他県の人々が、
山や川や畑や自然を「守る」ためや、有効資源を生かすために
自分の山林や土地に固執するとのは異なり、
富士山麓では、単に、「何にも活用されない土地神話」だけが
脈々と続いてるわけである。
(売って活用するといっても、企業のゴルフ場として売却するとかで、
確かにそれで得た収益で、水源から水を引いたりもしているようだが、
土地そのものを試験的に開拓したり、
観光産業以外に利用しようとする意志が希薄。)
●それに、その地元の古参の「地主」とか呼ばれる
ごく少数の人々というのは、はっきり言ってしまえば、
皇室や、幕府などと癒着のあった氏子集団か、
さもなければ、山麓で「武力」のあった種族に限られる。
広大な山麓の、もともとは、所有者など誰一人いない土地を
いちいち、「ここからがオラの土地だ」、などと線引きするとしたら、
それは、やくざまがいの野武士を、どれだけ抱えていたか、
さもなければ、中央権力からの武力的なバックアップがあった、
と推測されるわけである。
血生臭い武力衝突や、権力の乱用以外には、
自然の地に「線引き」をする要素などないわけであるから、
そもそも、富士山麓で、地主なんぞと呼ばれる者の先祖というのは、
別に、神聖な山を守護しようとした民なのではなく、
単なる外来の山師か、ヤクザ者の集団ということになる。
ただし、小作人たちは、他の土地から召集されたか、
もしくは、ごく少数存在したかもしれない、本当の先住民?たちに
権力者たちが、強制的に農工作業をさせた「可能性」もある。
それでも、既に述べたように、
ある時期には、富士山の山岳信仰の宿場の村として、
そうした集落が、栄えた時代もあったのである。
●それが現在では、数ある地方社会の中でも、「超珍しい」ぐらいの、
「超閉鎖的」「超無進歩的」「超やる気のない町」と化している。
この事実の{裏}にあるものは、何であるのか?
それこそが、私の着眼点であった。
その集落の生活様式に対して、文化が不在だ、心が貧しいと、
「是非」を言うのではなく、ありのままに見てみて、
何が原因で、そのような結果が生まれたのか?
それを考察するのが、私の興味の対象であった。
●そうすると、そこには、「富士山」という山の存在がある、
その1点のみが、大きく関係するのである。
ただし、それは観光スポットとしての富士山のことではない。
ところで、気候が厳しく、土地が痩せていたから、などというのは、
「文化が育たない口実」にはならない。
活火山の近くの村は、日本に他にいくらでもあり、
また、東北や北海道ともなれば、気候の厳しさでは、遥かに厳しい。
しかし、他県では、それぞれの文芸、食文化などを生み出してきた。
となれば、土地や気候といった要因は、
富士山麓で文化や精神性が育たなかった原因ではないとなる。
ならば、その無気力さの原因は、何か?
私の推測では、もしも富士山麓が富士山がなく平地だったら、
たとえ、同じ気候、同じ火山岩の地質だったとしても、
人々は、文化や精神性を育んだと見ている。
では、人の文化や精神性を、最も「削ぎ落とすもの」とは何か??
それは、「無意識に刻印された、宗教性に対する無力さ」である。
しかも、その宗教性とは、この場合には、特定の宗教宗派ではなく、
また、特定の宗教的人造物(たとえばピラミッドなどの遺跡)でもなく、
富士山という、自然の「山それ自体の支配下」に、
人々が太古から「精神的に屈している」という、
その「主従関係」の刻印の深さに由来しているのである。
いわば、前回私が宗教なるものを、幼児的人類の「母乳」と
喩えたことから言えば、
それこそ、富士山そのものが、宗派を超えた国民的母乳を
発生してきた「乳房の山」なのである。
●地元の人にとっては、富士山などというものは、
外来の者たちが畏敬の念を持つようには見ておらず、
生まれた時から、そこにある「当たり前の山」なわけであるが、
さりとて、それだからといって、彼らが富士山の力に屈していない
という事ではないのである。
だから、私は、「無意識的に、その支配力に屈している」という。
意識的に、富士山を信仰する者、その恩恵にあやかろうとする者たち
においては、わざわざ好き好んで「意識的に支配に屈している」ということになる。
●では、何がその「屈し方」において、
他の権力や宗教や遺跡に屈するのと違うのかといえば、
エジプトのスフィンクスなら、
ナポレオンが大砲で破壊しようとも出来るわけだし、
どこの遺跡だって、戦闘になれば、踏み潰すことは出来る。
また、権力者や政治の世界など、何度でも倒すことは出来る。
また、宗教教義など、弾圧することは容易い。
すなわち、こうした者や物に敵対する分には、
人間というものは、自分の自主性を失わずに済むし、
逆に、そうした権力や宗教に逆らうことで、
主体性を育て、結果として、その主体性こそが「文化」の原動力
となるわけである。
●ところが・・・・・、
富士山という「神格」は、あまりにも「人間にとっては」巨大すぎた。
富士山の麓に、いにしえの時代からいくら神社仏閣を立てようが、
誰が政治的に君臨しようが、
しょせん、それらは、富士山より偉くなるわけではない。
富士山の麓では、何の宗派であろうが、何の神官であろうが、僧侶であろうが、
等しく誰もが、富士山の「下僕」なのである。
目に見えない神仏とは異なり、
富士山はその圧倒的な噴火力を人々に見せつけてきた。
また、噴火によってその山形が安定してのちの富士山の
その独特の稜線の美しさや雪景色の美も、信仰の原因のひとつである。
人間というのは、どうしても、ついつい、視覚的な造形の
美しいものを崇拝しやすいという弱点を意識の中に持っているのである。
実は、その崇拝の根拠は、数理的な比率に起因するにすぎないのであるが。
その「巨大な大きさ」と、「巨大な力」と、「美」とを3つとも備えた
富士山というものは、名実ともに、圧倒的な「存在」であるわけだ。
●さて、では、すべての宗派が屈服せざるを得ない
霊山、霊峰を、仮に「親」とすると、
その子供たちに起きることは何であろうか?
言うまでもなく、それは親に対する畏敬の念であるとともに、
その心の裏には、「無力感」、「劣等感」、「不毛感」が
根付くのである。
あの、あまりに強大な霊峰の前では、
子供の「主体性」が育つ余地はない。
主体性というものは、主に何かの環境と戦うことによって育つものであるが、
超えようとする親や敵が、あの富士山相手では、
最初から、やる気も失せてしまうだろうし、
そもそも霊峰として見るから、誰も富士山という存在に、
反逆しようとか、あるいは張り合おうとすら思わないわけだ。
●破壊することは不可能で、あまりにも絶対的すぎる、
しかも物質的な自然物である富士山。
精神世界においてすらも、
くだらないヒーリングツアーだの、富士山の古代王朝伝説や
UFO基地伝説に飛びついたり、
あるいは、明治以後に増殖した、各種の「新宗教」が
富士山を、それぞれに勝手に位置づけて利用せんとしてきたわけであるが、
富士山やその山麓で、その聖地を、私利私欲で利用しようとする者は、
どうなったかといえば、ご周知の通りである。
(オウムその他の新宗教の「末路」を見れば歴然としている)
厳密に言うならば、富士山は、
人間に対しては、「その者の思念の増幅器」になるという側面は
確かにあるのであるが、
さりとて、人類の99%の人間は、おのれの無意識の中の
「自分でも気づかない思念の混乱」によって「自滅する」のが
たいていのオチである。
●ちなみに、一部では、昔から、富士山に登ったり近づくと、
「頭の中の掃除が出来るかも」などと言われたこともあったが、
その実体というのは、
富士山に別に雑念に対する浄化力があるわけではなく、
富士山のその巨大な力の前に、
人は、無意識的に無力になり、
その結果、思考が一時的に虚弱化(沈静化)するということでしかない。
それは、強烈な富士山の磁場的な作用で、
磁性体がイレースされるような仕組みであって、
別に、クリアーになるわけではなく、
富士山の「勢力」という、「別のものが、刷り込まれるだけ」です。
●そのようなわけで、誰も富士山という親に、
意識において「拮抗しよう」とは誰も思いもしない。
しかし、そろそろ、その山の恩恵である
乳離れをする時期が、日本の人達に近づきつつあると
私は見ているのである。
といっても、別に誰かがミサイルで富士山を爆破するわけでもなく、
自然の力で噴火するという事でもありません。、
富士山というあまりに完璧な「神格的な親」に呪縛されつづけきた
日本人全体の集合的な意識が、徐々に解放されるだろうということです。
とくに、富士山麓周辺の人々は、これから長い年月はかかるものの、
少しずつ、富士山という親の乳首から自立するための
「離乳食」なども食いつつ、変化してゆくことでしょう。
●ということで、結論づけるならば、
富士山麓の周辺住人の、あまりの主体性・自主性のなさ、無気力さの原因は、
あまりに逆らえないほどに強力な霊山の麓にいたことによる、
集団的トラウマ、という乱暴な結論です。
しかし、その呪縛は何も富士山麓の住人にかぎらず、
富士山が見えた範囲の都道府県、「富士信仰が栄えた土地」では、
多かれ少なかれ、同じ呪縛を受けていると見なした方がいい。
●では、最後に、もしも富士山の近くに住んでいるという人が
本文を読んでいたり、富士山に行ってみたいという人がいたら、
富士山とは、どのような「利用」が出来るのかだけは書いておきます。
1/もしも、観光見物ではなく、富士山の麓を訪れるのであれば、
富士山を無視しろ。あれほど目立つものを無視しろと言われても
困るだろうが、とにかく、あの山を無きものとして、意識するな。
2/今でも、富士山をある種の呪術的な機械装置として
使うことは、出来なくはありません。
ただし、その場合には、利用者が、富士山とタメ張るぐらいの
対等の次元の意識を持っていなければなりません。
といっても、そんな事が出来るのは、それこそ、
限られた人だけでしょうから、
一般庶民でも、富士山の構造的な恩恵を利用できる方法の
ヒントを書いておきます。
「富士山は、横から見ると 神の山
上から見ると ただの穴」
●すなわち、富士山を下方や横から見たら、
その支配力に屈する意識を刻印されてしまいますが、
上空から見れば、その影響を食らわない。
つまり、もしも富士山に、つまらん願い事でもしたい者がいたならば、
登山という手段によってではなく、
「上空の飛行機の中からにしろ」、という事である。
●∞●∞▲∞●∞●
●全くの余談だが、富士吉田の知人に聞くと、
昨年には、富士五湖のひとつである河口湖は、
いくつかの市町村が合併したようである。
そして、町長さんは、何やら「5感の文化」なるものを唱えては、
美術館や、ハーブ園やら、コンサート施設やら、
花火なんぞ、打ち上げているもよう。
しかし、笑っては申し訳ないが、「5感の文化」って、
「おいおい、そりゃ、普通の生活って事だろうよ」である。
都市は、どこだって、大昔から、とっくに「5感の文化」ですよ。
それを、いまさら「5感の文化」とことさら提唱するあたりは、
おそらく、富士山麓のその地方の住人にも、
やっと生活にゆとりが出来て、
文化というものを意識出来るようになった。
つまりは、「今まで人でなかったのが、ようやく人になる」
それが、河口湖周辺の住人にとっての、五感の文化なのであろう。
それは、ある意味、文化としてみたら、極度に幼年期的ではあるが、
それが、あの絶対的な支配に、無意識層で屈服していた、
富士山の麓の集落で起きてきた、ということになると、
日本国民の主体性という意味では、
その将来も、まんざら、捨てたものではないかもしれない。
ただし、あの地域の住人が、本当の主体性を育むには、
富士信仰の流れからは、「全く別の分野」に
広くその目を向けることが必要でしょうね。
それは、「とても困難」だとは思いますが、
ようは子供が、自分の親以外の世界を見ようとすればいいのと
同じ構図です。
●ただし、富士五湖といっても、山中湖などは、やや事情が違うようである。
もともと山中湖は、おそらくは富士信仰からというよりは、
西洋的な開拓精神で開拓された地域だからなのかもしれませんね。
また忍野も、どうも、ちょっと他とは気配が違うかもしれませんね。
ということで、来週は、また、よっこらと遠出をして、
河口湖の北岸や、山中湖の諏訪神社、
そして時間が取れたら、ついでに西湖、
その次の週は、本栖湖を回ってみようと思っています。
秋になったら、いつか、樹海の遊歩道も、歩いてみたいです。
◆参考サイト◆
富士山のことなら、まかせておけのページです。
歴史、伝承から、地形、登山記録まで、富士山について
知りたいなら、ここが最も便利なサイトです。
↓
http://homepage1.nifty.com/aburae-nyuumon/hyoushi.htm
どうでもいいほど、「おおざっぱ」ですが、
こんなレイラインとかのページもあります。
↓
http://www.ley-line.net/map/top.html
ところで、航空写真といっても、旅客機は残念ながら富士山の
「真上」は飛ばないもようです。
↓
http://www8.big.or.jp/~fysoft/fuji_01.htm
したがって、こういう写真とか↓
http://homepage1.nifty.com/aburae-nyuumon/oosawa.htm
こういうNASAのものが参考になります。
http://komuro.tk/r-stone/archives/cat_nasaacaaa.html
*********
●ちなみに、単なる観光気分で富士山をネットで楽しむなら
↓
富士山近辺の風景を、かたっぱしから写真で楽しむには、ここがお勧めです。
↓
http://www.fujigoko.tv/indexView.html
●で、このページの右上にある「未整理」のファイルの中には、
例のセピア色の、古い写真(明治ごろ)も見られて面白い。
もっとも、私が関心があるのは、
もっともっと前の時代なんですけどね。
↓
http://fuji.as.wakwak.ne.jp/view/
◆ ◆ ◆
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