▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
▲竹の間へようこそ▲
掲示板
Title
島流しリンク
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
★
「竹の間自薦投稿集」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[3633]
■
■いじめをなくす方法。
by:
崩残
2006/11/29(Wed)23:59:51
また政府が、さらなる馬鹿をやりましたね。
●報道を見ると、
「いじめ問題」に対して、いよいよ、現場の学校や生徒や家族の
「固別性」をほとんど無視した、権力介在がはじまったといったところでです。
そもそもいじめの定義そのものは、非常に曖昧である。
またさらに、イジメの助長とか、見て無視した場合の定義も、
ほとんど、どんぶり勘定のような「ずさんな定義」です。
「いじめの定義」で検索をかけると、ほとんどがロクでもないサイトが
ひっかかってくる。文部科学省の定義は憲法以上に抽象的である。
もっとも信頼をおけるものは、次のもの。
語源である。
↓
http://gogen-allguide.com/i/ibiru.html
よく読めば、まるっきり「大人社会がやり続けてきたことそのもの」では
あるまいか?。
>「子供は大人の真似をする」。これが社会の「大原則」である。
ドラマやフィクションの世界のみならず、現実世界での大人のやる、
恐喝も、闇金の取立ても、殺人も集団暴力の傾向も、
企業のリストラも、主婦の公園デビューも、そして夫婦間のいじめも、
まるっきりそれは
子供のいじめの性質の変化に、きちんと「反映されている」のだから。
そこで、政府としては、大人社会の法と同じ法律で子供の社会を
取り締まるという「全くの三流医療」のような行為、
つまり「症状を押さえ込む」という形で、体裁だけ作っている始末。
こういうことをしているとどうなるかは、竹の間の読者の人は
すぐに予測がつくでしょうね。
私の推測によれば、このいじめに対する規制が実行されると、
いままでは、いじめられていた側が自殺という形でサインを送っていたものが、
もう一段階発展して、小学生間、中学生間の殺人が起きますね。間違いなく。
>「押さえ込むと、必ず別の出口を探す」というのが、
>竹の間私設の「国民感情管理省」の見解ですから、
予測される現象は、次は殺人です。
■どうしてここまで馬鹿ぞろいなんでしょうね。
日本の役人や政治家というのは。
記憶違いでなければ、アメリカの一部では、
「いじめへの対処方法」というのは、
「当事者同士に話し合いをさせる」という方法であったように思う。
これが私が提唱している「世界一受けたい、口ゲンカの授業」と
どこまで似ているかは分からないが、
進むべき方向性としては、こちらの方が遥かに正しい。
もしも、いじめの「個々に異なる原因」もほったらかして、
結果だけを取り上げて、裁くなどということをすれば、
小学校や、中学校が、今後どういう修羅場になるかは馬鹿でも分かるだろう。
いや、馬鹿には分からないから、こういう事態になっているのであるが。
●それは、冒頭に述べたように「大人社会と同じこと」を
子供が始めるということである。
大人は、法や常識や風潮の中に群れて、自分の安全圏を確保するだろう。
そうしたら、子供がやりそうなことは、
>今度は「いじめの加害者をでっちあげることによるイジメ」である。
>そういう悪知恵を、すでに子供は大人から学習しているのであるから。
個々の事情が無視されて、
いじめの敷居が、下がりすぎることによって出る弊害とは、
>その低くなった敷居を利用した「いじめの加害者の捏造」である。
むろん、規制がされることで、
現在までに、明らかに、「違法性」すらある暴力、
刑事事件になってもよいもの、人権侵害にも該当するいじめ、
これらに対する多少の抑止力は作用するだろうが、
しかし、その分、別のリスクが現れるだろう。
ようするに、発散場所のない閉塞感が、一見良さそうに思える
この規制で、ますます子供や教育現場のフラストレーションが
内部に蓄積するということ。
当事者に対話をさせれば、個々に、ひどい、いじめからそうでないものまで、
微妙にコントラストがあるものが、
すべて、ささいなこともイジメとしてレッテルを貼られる。
今後、子供の間で、流行りそうな「逆イジメ」は、
「それ、俺をイジメているつもりか?」という逆向きのプレッシャーである。
●しかし、そもそもイジメというものの定義が曖昧な上に、
ひとつの疑問は、セクハラと同様に、
主観と客観の区分けが明確でないということ。
イジメの中には、恐喝や暴力のような、明らかな犯罪行為もあるだろう。
しかし、イジメられたと感じる側の主観の「許容範囲」にも、
昔そうであっただけではなく、
この今もなお、「かなりの誤差がある」はずである。
たとえば、昔の軍隊や、昔の学校で教師が生徒にやっていたことなど、
今の基準でいえば、PTAがすっ飛んできそうな、あきらかな、いじめである。
しかし、当時は、ほとんどの人間は、それで屈折するわけでもなく、自殺するわけでもない。
明らかに、
>子供の心理的な「神経が弱くなっていること」も原因と見なせる。
●しかし、もしも、ここに医療の原則を理屈としてもってきてしまうと、
「本人が主観的に苦痛だといっているかぎり、治療の必要がある」
ということになってしまう。
そこで、本人が「いじめられて苦しい」というと、
それが即、「被害者としてのレッテル」を張られるわけである。
しかし、もしも医療に喩えるのであれば、
そもそも、「医療の目的」とは何であるのか?
それは、ひとつは出ている症状の治療行為。
しかし、もうひとつは、「予防」である。
予防の中には、「免疫障害の改善」というものが含まれる。
ちょうど、漢方の考え方がそうであるように。
●そこで、私に言わせれば、必要なのは、
弱くなった「子供の精神的」神経を擁護することではなくて、
いじめに対する「免疫」または「正当な戦闘能力」を持たせることである。
>この作業こそが、「当時者同士の話による対決」という方法である。
それを通じて、結局は外交的な性質も養われるし、
将来は外交官や、良きビジネス戦略を立てられたり、
困難な交渉が勤まるぐらいの「人材」も出来るだろう。
論議とか、模擬裁判的な対決が必要であるはずなのに、
こうした子供の「正常な牙」を削いだままで、
弱いと定義される者や、「敷居の低いところで痛みを訴えている者」までを、
無差別に救済するような規制を作ったところで、
ますます、ストレスが子供にかかるだけのことなのである。
では、一体、いつから日本人がそのような屈折した道を
歩んでしまったのか、よく思い出すことである。
それは、
>「争い事」を、よくないものだとして、それに否定的になった時代からである。
そこに最初に影響したのは、日本の敗戦や、その後、
アメリカが押し付けた「偽平和主義」などだろう。
争いはよくないという風潮が(適度を超えて)「行き過ぎてしまい」、
そこに生み出したものは、
>逆らっても当然の物事にまで、ぺこぺこと、頭を下げる、
>「ノーと言えない日本人」は、そうやって量産されて、
>完全に、ピント外れな「和」とか「良い人」が培養され、
家畜のように、量産されたわけである。
昔の日本というのは、紆余曲折を経て、
つまりは、「石が転がるように、さんざんにぶつかった結果」として
「まるくなった石」にたとえて、人が丸くなった、という意味の、
褒め言葉が成立していたのである。
しかし戦後の「丸」は、「整形した丸」最初から、
型で量産したような、「丸」にすぎない。
■こういう観点からすれば、
お互いに擦れて丸くなるという、自然界の河原の石のような「個性的な丸み」ではなくて、
ただ、抑圧の型で、まんまるに量産されるプラスチックの丸型人間が作られるだけであって、
そんなことを生き物に対して強いれば、
かならず、その歪みは、大きなしっぺ返しとなって現れてくるだろう。
頭の悪い連中に、もう一度、言っておくと、
>「いじめ」と称するものには、定義や判定が困難な、
>主観面と客観面があるということ。
>そしてそこには、一言では、くくれない個別の背景があるという事実。
>次に、いじめの根本原因は、大人社会の以前に、
>その一家族の中の「親」にあるということ。
>さらには、その家族を最初に形成し、責任を負うのは「夫婦」であること。
>それでも生ずる、自然発生的な、いじめについては、
>当事者同士を、「レフリー付きで、口で対決させろ」ということ。
>さらに、これは、「人材育成や、基礎教育にもなる」ということ。
>簡単に言えば、安直に「大人の都合で子供を丸く整形するな」ということ。
>まるくなるのはあくまでも、人間関係での摩擦を重ねた結果であること。
>「健全に戦う」「屈折したり、こじれる前の初歩の段階で戦う」という事は、
>家庭でも、学校でも、社会でも、健全な社会の基本となる、
>「力の拮抗によるバランス」を保つ唯一の方法であり、
>それがあれば、大人社会にも子供社会にも、
>「一方的なイジメ」は生じにくいものとなる。
>また、この方法は、イジメに対する子供の「免疫低下を起こさない」。
そもそも、よく見てみるがいい。
大人社会そのものが、何とも戦わずに、臭いものに蓋をして、
保身に走った結果、国民は、まったく役人や政治家のイジメに、やられ放題、
という、今日の日本の状況を作ったということ。
イジメ問題がどうのこうの言う前に、小泉政権あたりから、
一方的に、内輪で物事を決めては、国民をイジメているのは、どこの誰だね?
■これらの根本的な視点を全く無視して、
法律的、あるいは規則的な規制など学校の現場、子供の現場に
押し付けたら、その押し付けられた規制は、必ずストレスとなって、
逆に子供に「悪用される」だろう。
>そして、悪用の結果生まれるのは、今度は「自殺」ではなくて、「他殺」だ。
文部科学省は、まず、科学的に「自分の頭を、冷やせ」。
子供や国民をイジメているのは、他ならぬ、お前さんらだろう。
なんなら、そのまましばらく、冷やしすぎて、
じっと冷凍保存でもされていればいい。
次から次へと「余計なこと」をするもんじゃない。
■それに、余談であるが、
そもそも、あんたら、「WHO」で指定されている、
報道の際には、自殺の連鎖に注意すること、という項目を知らんのか?
↓
WHO勧告(2000年)(自殺対策支援センター)
1. 写真や遺書を公表しない
2. 自殺手段の詳細を報道しない
3. 自殺の理由を単純化しない
4. 自殺の美化やセンセーショナルな報道は避ける
________________________________________________________________
●それと、どうして、戦後、「牙を抜かれた子供」が量産されたかには、
ひとつには、社会風潮もあるが、もうひとつには親が吸ったその空気が
子供に感染したこともある。
そして、子供を「育てる」のではなくて「調教した親」が多くいた、
ということである。
かつての受験戦争の激化などは、まさに、その典型である。
この「親の無自覚による子供の調教」の弊害は、
以前に、ここ竹の間で書いたので、興味のある人や、
内容を忘れてしまった人は、ここの「過去ログ」を遡ればいいだろう。
子供を親の都合にあわせて育てるために、
「飴と鞭」を利用して、
子供に「大人との取引」を覚えさせる愚かな親たち。
そうやって、調教された子供は「自立できなくなる傾向」にあること。
「引きこもり」などは、その調教の結果の典型のひとつだろう。
成人しても、30になっても、40になっても、
依然として、
それと分からないように、「親に飼われている」大人たち。
すなわち、自主性や、反発精神や、洞察力を、最初に削いだのは、
社会という漠然としたフィールドではなくて、
子供が、その幼少期を過ごした「 家 庭 」なのである。
■参照用過去ログ
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T3548
http://www.mumyouan.com/k/?T3540
________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(3633 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
竹の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -