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[609]
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★分割自我復元★その609【トラウマ掘りの報告より】
by:
鈴木崩残
2016/05/18(Wed)06:24:22
トラウマ掘りの報告
*********
崩残様、
ここのところ、自分のよくやってしまう思考の動きに、
自分がうんざりするところを見てみました。
また、何度もトーク集を聞き直してみました。
睡魔で眠ってしまうことも度々ですが、
ヒントを見つけるために聞くということを繰り返しています。
何がその方向へ引っ張るのかを探ってみると、
そこに隠れているのは、「寂しさ」なのではないか、と思えました。
トラウマ堀りをやってきた間に、寂しさを味わうことは、何度もありましたが、
それと記憶が結びつかないことが続いていました。
「寂しさ」についてのトーク集を何度も聞き直して、
幼少の記憶を探ることを、不器用にですが、繰り返しました。
そこで、今現在たどり着いたところを書いてみます。
*********
その前に「口中香」について最近気付いたことがありました。
この技法も凄いところは、食べるという行為の中で
この私が「続けている」ということです。
以前にこのような種類のことを継続的に行えた試しがないからです。
三日坊主というやつです。
それを自分が続けています。
たまに、仕事中のツマミ食いで「あっ、忘れた」ということもありますが、、、。
つい先日は、技法をやりながらもボーッと考え事に気を取られた
瞬間に軽く左頬を噛んでしまいました。
いつものような酷いことにはなりませんでしたが、
意識が飛んでしまうと痛い目に会うようです。
そして、吸気で始まり、息を吐きながら味わい、
最後に呼気と共に終える。
途中で無意識に陥れば、手痛い一発を食らう。
まるで、生を凝縮しているようだと思いました。
*********
………
「寂しさ」
自分の癖のような行動でしつこく残ってるものは、
「寂しさ」を紛らわす手段なのではと思い、探ってみました。
その行動は、私にとってのペットなのではないかと。
特に必要性のない時の行動は、それが原因だと思います。
「なんとか依存」ほどではないにしろ、行動は同じです。
例えば、必要のない買い物や夢中になる物事などです。
………
「親は決して振り向くことはない」、、、
こんな自分では、どうすることも出来ない物事に直面することが
私の「寂しさ」だったと感じる。
2、3歳の時に妹の出現で、母親の保護領域からは追い出され、
母親自身が先天的に持つ寂しさの標的とされたことで、外界との比較が始まった。
手も足も出ない自分を、現実として突きつけられた時に味わった思いを
よく見ると、それが寂しさだった。
この自信の喪失感=寂しさが外界へ向かうことを怯えさせた。
幼稚園という外界への怯えは、この寂しさから来た。
他者は、私に寂しさを増幅させた。
だから、積まれた座布団の隙間に身を潜ませるとホッとした。
安心を得ていた。
その暗がりの中は、私に寂しさを思い出させる他者がいなかった。
母親から自信を与えられるような言葉をもらったことはなかった。
たまには、元気になる言葉が欲しかった。
褒めて欲しかったなぁ…。
何が悪かったのだろう?
自信が無くなれば、無くなるほど母親への依存度が高くなった。
母親の口癖は「ダメならしょうがない」だ。
これが私の生き方になってしまった。
「ダメだけど、やってみな」が本音だろう。
最初から何の期待もない。
「子供も妹がいるからいいよ」、と思われた気もする。
心の中で「ひとりにしないでよ」と訴え、
社会には「ひとりにしてよ」と訴えた。
母親は、私の自信を奪うことばかり言い、
父親は、無関心。
勇気付けることを言って欲しかった。
結局、母親から貰ったのは母親自身の持っていた「寂しさ」の代理復讐だった。
自信喪失→寂しさ→他者攻撃、イジメ、支配、強要。
寂しさを紛らわす→買い物、おちゃらけ、妄想。
幼少期の僕は、大声で母親に何やら訴えている。
聞いてくれないから声がどんどん大きくなる。
「どうして、聞いてくれないの?」
怯えと恥ずかしさ。
人前に出るのが恥ずかしい。
しかし、こんなにまだ幼い頃に、何で恥ずかしいのか?
何で自信がないのか?
「僕は劣っているから恥ずかしい」
…これは僕の感情じゃない!
まだ、そんな時期じゃない!
まだ楽しいか楽しくないかなんて分からないはずだ!
なのに、何でこんなに自信がないの?
これは、おじいちゃんが凄すぎて、自信が無くなった父ちゃんでしょ?
何で大声で訴えても見てくれないの?
これは、親に構ってもらえなかった母ちゃんでしょ?
両親は、二人とも自信が無くなっていたんだ。
それを僕に押し付けたんだ。
父ちゃんは自信がないから恥ずかしかったんだ。
母ちゃんは、親に構ってもらえず、
自分の姉さんたちより劣ってると思ったから恥ずかしかったんだ。
大声出して親を振り向かせようとしたんじゃないのか?
同じことを僕にさせたんだ。
○みんなより劣ってるから恥ずかしい。(母)
○振り向いてもらえない自分は恥ずかしい。 (母)
○自信がないから恥ずかしい。 (父)
こんなに恥ずかしさを押し付けられたら、
自信なんてなくなって当たり前だ。
恥ずかしいことが怖くなってしまった。
劣ってしまったから誰も振り向いてくれなくなった。
そしてずっとあとであのイヤな日々が始まった。
「振り向かせたい人格」には、誰も振り向いてくれなかった。
………
いくら探ってもこれだという感情に行き着くことなく、
これを書いていました。
その途中で桜の間の投稿を「寂しさ」で検索し、いくつか読んでいると、
一つ扉が開いたように思えたので続けて書いてみました。
寂しさで検索した投稿を再読したいと思います。
また、手がかりが見つかると良いのですが。
CDの「何が問題なのか」も聞き直しています。
少し間を空けて聞き直すと引っかかる重要部分が見つかります。
なぜ、そこを聞き流してしまったのか不思議です。
十記丸
*********
■いつも私が繰り返し思うのは、
「目立った暴力の記憶のない家庭ほど、酷い傷を負っている子供が多い」
ということです。
正しく言うと、毒親の犯行現場(犯行事実)を発見しにくいのです。
目に見える、つまり記憶に残る形で、
あからさまな暴力を親から受けた記憶がある子供の場合には、
自傷行為や、摂食障害のような見える形になりやすい傾向があります。
一方で、「言葉」による暴力を受けた子供は、
その言葉が、強い恫喝や恐喝であった場合も、
まったく強くない、遠まわしな子供への無視や、
子供を小馬鹿にする態度の親であった場合にも、
それが、大人が聞いたらば、何でもないと思えるような、
どういう種類の言葉であっても、
それは、子供にとっては、強烈な傷になります。
暴力がなくても、特に、子供が傷つくのは、
「子供を馬鹿にする」親と、「ダメ出し」ばかりする親と、
そして、「子供を無視する」親、
「子供に対して、お前は、我が家にはいらない」といった態度を
遠まわしにする毒親です。
社会においては、どこでも生ずる、「必要ない」とか「邪魔扱い」であっても、
唯一、まだ小さな子供がいる家庭だけでは、
それは生じてはならないものだったのです。
両親から子供であるあなたが、
「いらないと言われる」「邪魔だと言われる」「馬鹿だと言われる」
これほどに、子供にとって、つらいことはないのです。
殴る、つねる、怒鳴るなどのわかりやすい暴力をまったくしなかった親でも、
これらの感情や言葉を子供に向けていた毒親を持っていた人たち。
この人たちが、トラウマの記憶の深部(核心部)を掘るのが、一番、難しい。
その点で、今回の十記丸さんも、
その他、ぽぽさんも、Mさんも、時間はかかりましたが、
親由来のトラウマ深部に、ようやく「眼」が届いている感じを受けます。
■今回の報告の中にあった「寂しさ」に関するトーク動画のある投稿
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S588
●ところで、
あびさんのブログを見ていると、
私個人は、私自身が20代の頃にやっていたことに
とてもよく似たことを、あびさんがしているように思えた。
つまり、生活の全部に工夫を凝らす、
何であっても経験として消化すること。
つくづく、あびさんが、全自我という生き方の中にいることが
伺える様子が多い。
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/
●一方で、私個人は、ある年齢、ある時を境にして、
全自我という生き方とは、また全く別の生き方を、長年してきてみて、
それもまた、今では、終わりつつある境界線にいます。
この先は、私にも未知の領域です。
また、今の私の精神年齢は、85歳ぐらいです。
これは冗談で言っているのではありません。
肉体的には60歳になっていなくても、今の精神年齢は、85歳ぐらいです。
それは「老いた」とも言えますし、「静まった」とも言えますし、
「死期」に近いのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。
一生の、最後ぐらいは、休みたい、
と、心底から、本気で思ったことが、
今の私の状態を作っている原因ですが、
それと同時に、世界と「アンプラグ」状態にありますので、
生きてゆけなくなる可能性が大です。
「アンプラグ状態」とは、
いろいろな関心、気力、つまり世界との接点が、
切れた状態のことで、どこかにある言葉ではなく、造語です。
「プラグアウト」したというほどに、意識的にやっている引っこ抜きではなく、
自ずと、プラグが外れたような状態なので、「アンプラグ」の状態と呼んでいます。
しかし、さらにそこには、「別の沈静要素」も割り込んでいて、
今の私は、かなり、きわどい状態にあります。
身体的にというより、心理的にです。
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