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[635]
■
★NO.635/ 博士君の初七日 「無題」
by:
鈴木崩残
2016/10/06(Thu)08:16:21
★
ここに掲載していた限定販売の書の情報は、
松の間に移動しました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?M1245
まだ、博士君の初七日も過ぎないのに、
書の販売情報とか、そういう情報は桜の間に載せたくないと思ったので、
無心の書の情報は松の間に移動しました。
★
まだじっくりと、博士君との日々の記憶を噛み締めていたいのです。
博士君が旅立つ12日前の9/19朝 外を見せてあげていた。
そして、私は、こんな夢を見ました。
_______________________________
私が次に生まれ変わった夢
まだ博士君が生きていた、9月の終わりごろに、ひとつの夢を見ました。
それは、私の次の生に関する、ひとつの示唆を含んでいました。
むろん、私が次に生まれるときに必ずそうなる、という事ではないと思いますが、
その夢には、特筆すべき印象が含まれていました。
夢の中で、
気づくと、
私は、
水中にいました。
水の中に浮遊していました。
水は澄んでおり、淡水のようでした。
水面から数メートル下まで太陽光線が降り注いでいてとても明るい。
私自身が魚類なのか、両生類なのか、
それともクラゲのような生き物なのかは、わからなかった。
夢の中では、動いてみなかったので、
自分の動きのパターンが魚のそれなのか、違うのかは、わからなかった。
水中にいる私は穏やかだった。
見える風景も穏やかだった。
どうやら、そこでは、天敵を心配する必要はないようだった。
光、音、わずかな水流、そのすべてが穏やかだった。
■
そして、そのときに、とても印象深いことを感じた。
その水中に浮かぶ生物になっていた私の意識、私の認識、私の視点から、
沢山の「生の選択の候補」となる「他の生物のリスト」を感じた。
本当に沢山の、鳥類や動物や魚や、昆虫その他・・・。
もしも生まれるのを希望する生物のリストとしてそれを見たら、
本当に膨大な量の選択肢がある。
そして「人間の生」とは、その膨大なリストの中の、
「ほんの一角にすぎない」、そう私は感じた。
人間、または人間型の生き物というのは、
選び取る事の出来る生命経験全体の、わずか5%にも満たない。
しかし、私達は、人間を生きてしまうと、人間は他の生物と違う文明を持って、
何やら複雑なことをしたり、科学を発展させたりして、
他の生物と自分を区別して、人間としての自分を特別視している。
さらには、宗教だとか、精神世界だのを掲げて、
人間が何やら、ご大層な役目や、何かの精神の進化といった、
使命を持っていると勘違いしやすくなる。
しかしその水中生物の中にいる私には、
すべからく、すべての生物を通じた経験は「等質」であると確信した。
ある生物の中に意識が入って、その生命を経験すれば、
そこでは、それがすべての充足と満足であるということ。
人間の生の経験なんて、人間をやっているときにだけ大騒ぎしているだけで、
人間以外の生物の中にいた私からみたら、
本当に、「人間の経験など、たいしたものではない」ということだった。
人間に生まれた経験なんて、冷静に、他の無数の生物のしている経験と比較したら、
本当に、たいしたものじゃない。
本当に、本当に、人間なんて、たいしたものではなかった。
少なくとも私達が日々思っているほどには「たいしたものではない」。
夢の中で、水中のクラゲのような生物になっていた私に認識されたことは、
あらゆるほとんどの生物、特に、人間のような形や知能を持つ、
ヒューマノイド型の生物「以外」の生物たちは、
その生命経験で「足りている」ということだった。
幸せとか、幸福とか、そういう言葉では表せないその穏やかさは、
「足りている」としか表現できなかった。
むろん、それは私がたまたまた、夢の中では、
弱肉強食の要素の少ない、特定の水中環境で生きている生物になっていたからであり、
陸上生物に生まれれば、それなりの苦労や苦痛もあるだろう。
しかしそれでも、それらの生物の中で経験できることの重さと質は、
人間のそれよりもずっと「満ち足りている」ことが多い。
何も、人間というものを経験しなくとも、
地球や、宇宙に生息する、無数の生命のどれかを、
ひとつずつ経験してゆくだけでも、
十分に満ち足りた時を過ごすことも出来るのではないかと私には思えた。
意識の進化とか、意識とか、文明とか、次元とか、騒ぎすぎです。
とにかく、人間をやっていて感じる不具合というものは、個人的なトラブル、
またはローカルなトラブルにすぎないのに、騒ぎすぎだよ。
それぞれの経験の中に閉じていて、
満ち足りて、問題のない生物は、沢山存在するのだから、
何も人間型の生命経験を、無理に選択する必要はない。
ミル貝は150年近くも生きるらしい。
しかしその150年は、私達が勝手に考えるほど退屈ではない。
もしも退屈したら、ミル貝は自殺してしまうよね。
時間と意識の流れは、生物ごとに違う。
だから、どの生物として生まれても、
そこにはその生物に特有の現実がある。
という当たり前すぎる事を再認識させられました。
***************************
他界する10日前の博士君↑
●そんな、次に生まれるかもしれない世界のことを考えながらも、
まだ博士君を失ったことの傷が癒えない私は、
博士が寝ていた、まだ彼のぬくもりと香りが残る毛布に顔を埋め、
悲しみを背負い、一週間が経とうとしている今日も、
博士君を慕って、一日に何度も涙を流している。
そして、私も砂手も、
博士君の遺骨の中の小さなかけらを、
いくつか口に含んで、噛み砕いて、食べてみたりもした。
彼の遺骨を自分の体の中に一体化させたい、という想いがそこにある。
愛おしい他者を失った人たちは、必ずこれをするに違いない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、部屋のあちこちには、博士君が、うっかり入り込まないようにと、
板で塞いだり、扉をつけた場所が沢山あります。
部屋の中のそうした物を見るたびに、
もうそれらが必要なくなってしまった、という事実が、私達を深く悲しませます。
だから、そうしたもの以外にも、
博士君のトイレも、飲み水の器も、今も、そのままにしてあります。
*********
「愛する者との別れは苦である」「死別は苦である」「執着は苦を生む」
そんなことは分かりきったことだ。
そんなことは、説明されるまでもなく、空気と同じぐらいに、
分かりきっている世界から、私達は、ここへ来たのだから、
だから、この地球では、存分に何かを偏愛し、その何かを失ったならば、
存分に悲しみ、憂い、時に絶望し、感情に正直になって、打ちのめされればいい。
精神世界によくありがちな、乱暴な「正義の押し付け」や、
「抽象化された法則」の振りかざしではない、「繊細なもの」は、
それらは、純粋な精神から見れば不純物のように思われるものの中からこそ生まれる。
時に、生物が感じてしまう、耐え切れない心労や悲しさを、
なんとかしようとした、生きている人々と、霊界の人々、
そして猫たちの霊の動きは、
普段は私たちには見えないその空間の中に、
どこか少しだけ不気味でありながら、ほっと安心できる不思議な世界を
作っているのだと思う。
先だっての、「お迎えをする でっかい猫」のような、
あのような仕組みを作ってきた存在たちの想いを感じてから、
最近、私は、そんなことを感じるようになった。
どこの世界でも、生きていれば必ず生まれてしまう、苦痛と苦渋、苦悶と苦悩、
それらをなんとかしようとした無数の魂が、作り出した世界がそこにある。
それらを作ったのは、むろん、それぞれの身勝手さであるかもしれないけど、
その身勝手さには、深い慈愛を伴っているものも多くある。
●
博士君に、知人から、供花(きょうか)を頂きました。
花が送られてきたお花屋さんに電話で聞いたところ、
依頼主の方からの話で、
ペットを亡くされた家族へのお花ということで、
それで、フラワーコーディネーターの人が、
組み合わせてくれたらしい素敵な花々です。
飾りの一つは、猫のシッポに見立てたのだろうと思います。
そして翌日は、お世話になった動物病院の皆さんから、
素敵なお花が届きました。
↓
お花が沢山になったね、博士君!
↓
うちのサイトの古くからの読者の方は、皆さん知っていると思いますが、
博士君が、最初に、我が家にやってきた時の「実録の物語」です。
まだ読んだ事のない人は、ぜひ読んでみてください。
12年前の、不思議で素敵な出来事でした。
私たちが博士君から頂いたのは、
人間としても不出来で、性格も良くない、こんな私達二人には、
もったいなすぎるほど、身に余るほどの、
沢山の、幸せと、喜びと、楽しさと、嬉しさと、穏やかさでした。
あまりにも、ありがた過ぎて、感謝の涙が今も溢れ続けています。
博士君、ありがとう。本当に、ほんとうに、ありがとう。
↓
【博士君(はかせくん)との出会い/2004年4月】
http://www.mumyouan.com/m/mu-17.html
我が家に最初にやってきたその時に、
博士君の視線で見たであろう玄関の風景。
彼は、何一つも迷わずに、まっすぐに私達の部屋に上がってきたのです。
↓
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