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Title
「分割自我復元」
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[106]
■
★分割自我復元★その105 ●「繋がりを求めない事」●その他、いくつかのメモ●
by:
鈴木崩残
2012/07/05(Thu)12:49:45
あちこち加筆しましたので、読み返してください。(7/6 9:00)
いくつかのメモ
関心マップを活用すること
●桜の間の過去ログに、「関心マップ」「関心地図」という課題で、
2つか3つの重要な投稿があります。
http://www.mumyouan.com/k/?S36
http://www.mumyouan.com/k/?S70
ところで、【掲示板内検索】の結果はこうなります。
↓
http://www.mumyouan.com/k/mtu.cgi?mtu=sakura&fn=-&pn=50&sst=%8A%D6%90S%92n%90%7D%81%40%8A%D6%90S%83%7D%83b%83v&nv=cu&r=0&tbm=1
何か探したい過去の記事がある場合には、この画面の上のほうにある、
「桜の間へようこそ」の右の、黄色の文字の「Title」をクリックして、
探したい「掲示板を選択」して、「検索用語」を入れて、
このサイト内の検索機能を活用してください。
_________________________________________
●さて、そもそも「関心地図」が、ありがちな自己観察、想念観察と異なるのは、
自己観察が追尾しようとするのは、思考や感情だけであるのに対して、
関心地図は、その直前を観察していることです。
しかも、思考観察などは、
毎日、瞬間瞬間で、それを続けようすること自体が不可能であり、
やっている気になっているだけで成果は全くないといっても良い。
しかも、多くの場合には、単に
「ひとつの思考を、別の思考が評価を下している」だけの、
堂々巡りの思考トリップにすぎないものである。
●一方で、関心地図とは、意識のベクトルが確認できた段階で、
それを以上のことを決してしない、というのが原則である。
部屋を、真っ暗ではない程度に暗めにして、
必ず目は閉じて、その時点で、あなたの関心を引っ張っているものを
強く関心が向いている順から、メモに落とすだけである。
具体的に、その先の連想に至ることなく、単に、
どうしても関心が向いているものをピックアップするだけに留める。
●これを理想的には毎日、最低でも週に2,3回、しかも一回に行うのは、
たったの10分以下。
そして、おそらくは、書き出してみると、あなたは、
そんなに多くのことに本気で関心を持って生きているのではないことが
明白になる。
人間は、ネットやテレビや書籍や他人との会話という「情報を見続ける状態」や、
さまざまな連想によって、思考が暴走している状態では、
「自分は、いろいろなことに関心があるのだ」という大きな「錯覚」をしている。
しかし、関心地図のようなやりかたで、関心を「放置」してみて、
それでも自然に、どうしても関心がひっぱられている分野をあぶりだしてみると、
実際には、その瞬間に、あるいは一日を通して、
本当に、自分の関心の対象となっているものは10個未満だということがわかるだろう。
●こうした「関心地図」をメモする作業を続けることで、
思考発生の直前にある、「意識のベクトルの様相」というものが、
貴方の観察対象になってくる。
関心地図は、ほぼ毎日、少しずつ変わるはずである。
ずっと心にひっかかっているものは毎回、順位として上位にあがるだろうが、
それ以外のものは、その日によって変わるだろう。
たとえば、昨日までは、関心事の2位に「お肌の調子が悪い」だったものが、
本日、歯痛になれば、その痛みがトップに躍り出る、といった具合に。
そしてこの「関心地図」の作業を一週間にたったの2回か3回、
しかも一回10分程度するだけで、
それは、次項に書く問題にも間接的に影響してくる。
関心地図を書き出す作業を続けているうちに、前回、ビデオで話した
「時間や空間におけるリングの中心の穴」というものが形成されやすくなるのである。
つながりを求めないこと
●精神世界に氾濫する情報や、そこに携わる人々の中にある「癖」のひとつが、
「共有 = 安心」または「共有 = 理解」あるいは「共有 = 正しい」
という多大な「妄想」である。
たとえば、同じ夢や幻視を、何人かが見たり直感として感じた場合に、
「あ、それ、あたしも、見た見た」となってしまうケースや、
これが大きくなると、「共有宗教(共有信念体系とも言えるもの)」のようなものとなり、
限られた範囲でしか通用しないものを、安易に「普遍性」と混同する傾向である。
●人間(ことにこの地球上の人々)の、とても「悪い癖」のひとつが、
複数の情報を見たときに、
無意識のうちに「共通項」にだけ目がいく、ということである。
たとえば、二人の人間が話すときには、お互いに「共通している部分」を
無自覚のうちにピックアップしたがる率のほうが、
「違和感や違い」をピックアップする率よりも、圧倒的に多くなっている。
平たくいうと、地球上の人間は、「シェア待ち」状態なのである。
「私と似た考えの人が欲しい」という「飢餓状態」とも言い換えられる。
●これゆえに、
冷静に見れば、本来は全く異なる分野であるものを混同してしまったり、
まったく比較してはならないものを比較のテーブルにおいてしまう、
という事が原因で、論議が成立しないことが頻繁に起きる。
論議といっても、それは何も学者の論議のことを言っているのではなく、
ひとつの家庭の中、会社の中ですら、論議がかみ合わないことが、
前述したような、「シェア待ち心理」によって起きてしまう。
言うまでもなく、それが、人間の身勝手な願望や欲望が顕著に出やすい
精神世界では、無法状態で放置されていることは、容易に想像がつくだろう。
●実際、その結果として、
本当は、共有するほどの共通項がないにも関わらず、
「情報」「事実関係」「方向性」「目的」さらには「感情」といったものを、
相手や、組織や集団と「共有しているという幻想」にしがみつきたがる傾向がある。
その成れの果てが、「サークル」または「組織」であり、
規模によっては、カルト集団または一般宗教となる。
●集団ではない、個人レベルでは、これは「関係妄想症」と呼ばれる。
ほとんど関係のないものから、共通性だけを極端に探し出そうとする
一種の「病気」ですが、精神世界には結構、多くいる患者です。
たとえば、異なる宗教や思想を、
「不注意かつ無意味に」、ごっちゃにする人(したがる人)たちなどです。
それは、本来あるべき「対応学」や「関係を探る」というものではなく、
「繋がりがある方がいい」とか、「繋がっている方が面白い」
という「先入観に毒されたもの」に、完全に成り下がります。
●悪質なものでは、自説を強調する為に、
さまざまな宗教や、予言や、思想を「どうだ、全部が関係あるだろう」
という話にしてしまう、カルト的な詐欺がありますが、
個人レベルの、分かりやすい会話では、こんなものです。
「あっ!、A君、今日は、あたしと同じメーカーのシャツだ。
きっと、あたしの何かが、A君と繋がっているんだわねぇー。キャピッ」
A君「うぜぇーな。ねぇーよ、そんな繋がり。」←こっちが真実。
●しかし、この「悪癖」とも言える傾向は、
地球に固有のものであり、おそらく宇宙では、それほど一般的ではない。
地球に固有の、この「粘着性」を、口語体で言えば、
「そうでしょー、そうよねー。あ、わかる、わかるそれ。
そうよね、みんな同じなのよね」
という、この極端に無理のある、「共有幻想」の出所は、もとはと言えば、
あまりにも、互いに「結びつき」「理解」が欠損するような形で、
地球の人間の意識が現在のように「分断」され「細分化」されたことにあります。
●そもそも、相手のことがツーカーで分かるような次元にいたら、
逆に、いいかげんに、その利便性にも、うっとおしくなってきて、
「自分は一人でいたいし、一人で考えたいから、ほっといてくれ」
となるものである。
もっとも、その「ほっといてくれないか、」という願望の一部が、
我々が今、この惑星にいる理由の「ひとつ」でもあるのだが。
つまり、太古には、確かに一部の種族は「意識の孤立」を望んだということである。
しかし、当時の「限定的な全体」からの分離を望んだ動機は、
たいした理由ではなく「神々しく形而上学的な理由」なるものでも全くない。
単に、「退屈だったから、」というのがその動機である。
事の発端は、かなり悪質な実験から始まった
●ただし、私の主観的見解によれば、
その当時の宇宙で、「個体にひとつの自我」を装備させたのは、
何も、そのような娯楽を、人間たちに提供するといった、
サービス精神や、親切心からではなく、
事の発端は、人間を含む「生物全体」から、
「搾取できるエネルギー源の効率化を図るため」であった。
ところが、偶然に、その「副産物」として、あとから、
「自我という閉塞状態は、それなりに、面白い面を持つとも言える」、
という視点で認識した、初期の地球人類がいたというだけの話であり、
その噂が、さまざまな宇宙に広がった「時期があった」というだけの話である。
●しかし、そうした自我の閉鎖状態は、
そもそも、今ここにいる私達が主導権を持って望んだのでもなく、
我々が設計したのでもなく、別の存在たちの都合によって作られたのであり、
現在のこの断絶した意識状態が、
たまたま、その内部に入って、それを経験してみた者たちによって、
「閉鎖的な個体の中に圧縮された経験は面白かった」という、
「特異な定義づけ」をされたり、
「特異な付加価値」を加えられたというだけの話です。
つまり、経験した「後になってから見たら」、
価値があるように見えたり、そう錯覚したという事例が、
たまたま重なっただけの話です。
●故に、未だに、この状態を、
ただの「病気」「生命の故障」「精神分裂状態」として認識している住人の方が、
はるかに、一般的な宇宙には多いと見た方が、妥当である。
他人が示した信念体系を安易に信じないこと
ようは、「こんな監獄にも、何かを経験して学ぶ価値がある」という言い方は、
「監獄内にいる囚人が作り出す、空虚な自尊心のあがき」にすぎないということです。
●また、自我の中に圧縮された感覚の状態が、主に意味を持つのは、
我々にとってではなく、我々より上位の存在にとってのみであり、
その我々よりも上位の存在と我々は、必ずしも一致はしていない。
「接点」はあるものの、同一ではない。
だいたい、こうした、「宇宙的な詐欺」の常套手段とは、
>>「あなたは、生きている価値があるのだから、死にたいとか言わないで頑張りなさい。
>>でも、今のままではダメだから、少し、こうしなさい」
という事を言うことによって、その「詐欺」は成立している。
●なぜならば、もしも、家畜の存在意味を、完全否定するような「事実」を、
「ブロイラー」や「家畜」に言えば、家畜たちは自殺してしまうか、
反乱を起してしまうだろう。
だから、多少の事実を漏らしたとしても、
>>「貴方たちのように、放し飼いにされた肉は、とても健康的で、
>>最後は、天界の人たちの食品として、大変に貢献するのよ」、
といった、洗脳と「慰め」が施される。
あるいは、またそれによって、中には、
>>「家畜でも、宇宙に貢献できる価値があるならばいい」
といった、最悪のレベルで満足してしまおうとする卑屈な家畜も、
出てきてしまう結果となる。
●だが、そもそも、生命が、他人の「檻の中」で、
「食用」または「産業用」に飼われていること自体が、
正しいわけもなく、生命の状態として「正常であるわけもない」のだ。
しかし現在の地球人は、そうした製品資源と、ほぼ同じ状態にある。
●「分割自我復元理論」の書籍にも書いたとおり、
太古には、自我が受けるであろう「制限」を、その契約時に、
確認をして、同意をした上で、地球に生まれる契約をしていたはずであるが、
いつの間にか、そのエントリーの手続きは、自動化され、簡略化され、手抜きとなり、
ここまで自我の希釈が進んだ段階では、あまりにも「説明書き」とは異なり、
もはや、「経験する価値のない」、ただ「閉塞感」と「苦痛」しか、
この惑星の人間という「体験ツアー」には存在しなくなった。
●何度も言いますが、この期に及んでまで、
「この地球に生まれて経験することに価値があるんだ」と言い張る者がいたら、
その言葉が出てくる原因は、次の「4つ」しかありません。
>>1-その者の見ている地球の「宣伝広告」、または「旅行マニュアル」、
>> また地球の定義づけが、古すぎる時代のものである場合。
>> 当時は正しかったのですが、今は事情が変わっている。
>>2-その者「個人」の「精神衛生上の管理作業」にとってのみ、
>> 地球での生存に意味があるだけの事で、多くの他人にはまったく関係ないが、
>> 本人はその事に自覚がなく、普遍化しようとしてしまうケース。
>>3-人間から資源原料を搾取する側に属する者に洗脳されているケース。
>> このケースは現実には、極端に少ないか、ほとんどない。
>> チャネラーや霊界通信と呼ばれるものから出てくる価値観が
>> 「人生は魂の学習である」とかいう、かくも「薄っぺらに画一化」
>> してしまっている主原因は、前述した「1」の「誤報」によるものが大。
>>4-あまりの意識の鈍重さから、完全に、思考停止していて、
>> 「別に、自分など、どうでもいい」と思っているか、または
>> 「人生はゲームだ」「人生は学びだ」という、
>> 根拠なき他人からの借り物の言葉にすがっている。
●では、どうしたらいいかとなりますが、
それは、単純に言えば、最初に私が書いたような、
「つながり」を、他人との間に欲するような事をしないことである。
しかし「するな」といっても、してしまうのが常であるので、
そもそも、他人とのつながりを欲したりしないのが、
「元々の通常営業」である、そういう意識状態に、少しずつ馴染むことが、
必要となってくる。
●その重要なファクターのひとつが、「自我復元」による回復であり、
もうひとつは、「関心地図」の監視に慣れておくことである。
普通の人間は、自分の考えていることや感じている感情は客体化できても、
わずかな関心の移動や、思考が発生する以前の段階での、
意識の方向変化には、ほとんど気付いていない。
しかしこれに気付けるようになるということは、
「自我2」を起動させる重要な基礎となる。
移動期と滞在期では手法が異なる
●そもそも、当たり前のこととして、
人間(あるいは生物)には、二つの方向の意志がある。
ひとつは、定住、または「滞在」するために、
その土地の住人の常識に馴染むこと。
もうひとつは「移動」するために、その土地と縁を切ること。
離れて、移動を開始するときと、定住するときには、それぞれに違うスイッチがあります。
当たり前のことです。
出かける時の装備と、日常生活装備とでは、内容が違うのと同じです。
●しかし、地球上に存在する「魔術技法」のほとんどは、
そもそも、それが「作られた時期」が、外来の生物たちが、
この地球に定住、定着するために作ったルールであったり、
または、その法則を応用することで、この地球で暮らしやすいように、
望みが実現するように、正しく言うと
「物質化が安定するように」考案したものである。
●しかし、一方で、地球から出て「移動」するための方法論は、
滞在するための方法に比べて、圧倒的に少ない。
今日まで、皆さんのお気に入りだった、魔術や願望実現や瞑想とは、
すべて「より、ここに根を張って身体を安定させるためのもの」です。
●一部には、脱出型のものもありますが、それが、頻繁に機能していたのは、
それこそ、一部の人達の間であり、全体としてみれば、紀元前の話であり、
現代では、ほとんど失われています。
瞑想や宗教が、社会と全く関係を持たない、本当に厭世的なものであった
過去の時代の一部にだけ「脱出型」の方法論は存在していました。
●そもそも、脱出口というのは、
それを望まない人や、社会が関わってはならないものなのですので、
たいていの場合には、社会的に、隔離された場所にありました。
イメージとして、分かりやすいのは、「洞窟」です。
一般に言われている、聖域やパワースポットは、
逆流型ではなくて、向こう側からこちらに向かうベクトルです。
つまり、そもそも、その通路は、
「向こう側にとって、都合の良い利便性」で作られているということ。
●そこで、古代の魔術技法が、
地球に入ってくるための、定着するためのものであるならば、
それを逆流、または反転すれば良いのではないか、と考えがちですが、
そうは問屋が卸さないのが、「弁」という仕組みです。
常に、そこには、「逆流防止の仕組み」があるということです。
●また、そうした通路を使って、別の次元や世界からやってくる者を
「現在の自分の位置」においてしまえば、「交換条件」のように、
その代わりに自分は向こう側へ到達する、と考えるのも、安易です。
それは、向こう側の者と「先天的に関係を持っている」一部の人だけが使えても、
ここにいる多くのほとんどの人には、まったく使えない方法です。
●このあたりの話や、具体的な方法は、
実際の生活上で生ずる、デメリットもあるので、
いずれ、全自我に戻った人だけを対象にして、話をしてゆくつもりです。
いずれにしても、
>「私は、他人と現実を共有する便利さよりも、
> 自分の自主性を死守することを、今は選ぶ。」
> 心理的に完全に孤立しても構わない。
そのように宣言するのが、「今は」必要だということです。
●そもそも、人間に高次自我を吹き込んだ時点で、
それは、もともとは、分離された意識が、元に戻りたがって「あがく」、
ということが、プラント設計としての、狙いだったわけですが、
それを画策した者が、あまり計算や予測をしていなかったのは、
高次自我は、ホログラムの板のように、その「一単位」が、
それで「完結した宇宙になり得る可能性」をも、持っていたということです。
●だから、本来であれば、皆さんは、
必ずしも、何かとのつながりに依存してなければ生きていられないわけではなく、
相当多くの部分のつながりを切ったとしても、
それでも、根源的な意識の素粒子的な単位としては存在できるということです。
ただし、それは、「全自我」であることが、大前提です。
●また、「個人である」という閉鎖された心理状態は、
それはそれで、それを極めれば、逆に、意図せずに、
別の世界の住人とのつながりが出来るという「副産物的な効果」を持ちます。
「閉じると逆に繋がる」というのは、一見すると、逆説的に聞こえますが、
地球の人間とは、つながりが希薄になる分、別の次元を引き込みやすくなる理由は、
基本的に、個の単位に閉じた状態でこそ、
「より本質的な、内部回線で、他者や、他次元とつながる」、
という基本原理も関係しています。
●それに、環境のシステムが人を支えているのは、その環境と契約した場合のみで、
契約が切れれば、依存する必要はありません。
相互依存するにしても、次の契約は、自分で選ぶ権利があります。
今後、地球から移動して、別の次元や別の世界に、定住するときには、
その時には、また、その世界で、
「あなたが許諾したり、妥協できるような、不自由さ」、
つまり「共有現実」を選択して、そこで契約すればいいだけです。
●しかし、それは、
今のこの時代の地球でやるようなことではありません。
何度もチャンスがあったにも関わらず、
今ごろになっても、まだ遣り残したことがある人は、
むろんもう一度、地球での生を選択するのは自由ですが、
もしも原型自我に戻っていなかったらば、戻ってくるときに、
自分の自由意志の選択で、望んだ場所に戻ってこられる可能性は「ゼロ」です。
必ず計算違いや、「許諾した覚えのない事態」や、
「予定外の苦痛」を背負うことになります。
今回、希釈自我で生まれた多く人たちがそうであったように。
地震災害は篩い(ふるい)効果である
●2011年3月11日の地震と、それに続く原発災害については、
梅の間で、何度か定期的にその「位置づけ」と原因推測をしてきましたが、
それは、今でも変わりありません。
●最も直接の引き金になったのは、
過去半世紀に被曝した作業員たちの思考であり、
その思考は、言葉で言えば「この苦痛を多くの人にも知って欲しい」
ということに尽きます。
結果として、これからその苦痛を多くの人が経験するわけですから。
これは、作業員の集合的な思考の累積が限界に達して、
それが願望実現したということです。
たとえば、反原発の「研究家の人たち」も、過去何十年にも渡り、
原子力ムラに対して問題意識と危機感を持ってきたわけですが、
どれだけ被害者に歩み寄ったとしても、それは机上の論です。
しかし、最もリアルにその「感情」を持てたのは、
健康被害のあった人たち、現実に「その苦痛の中にいた人たち」です。
それ故に、今の状態は「反原発の人たちの長年の信念が通った」というよりは、
むしろ、原発事故という形で、過去に作業に従事した「何万人」という人たちが、
自分たちの健康被害の苦痛を訴える、ということが、現実に成就したわけです。
言葉は悪いですが、
「この苦痛を、あんたらも知ってくれ」という部分だけが実現したということです。
●一方で、では、それ以外の多くの日本人は、地震以前に何を望んでいたのか、
ということについては、これは、個々で違います。
ただ共通して言えることは、(個人ではなく)集団としてみた場合には、
かなり、ウンザリして、絶望していたのは確かで、
「いっそのこと、めちゃくちゃにひっくり返って欲しい」という思念は、
そこかしこに、あったはずである。
であるから、いつものお約束どおりに、「その通りになった」わけですが、
これまたいつものように、人々の多くは、
「願望に、ヴィジョンが全く欠落していた」ということです。
「メチャクチャになったあとに、こうなってこう再生されて、」
という願望の筋書きが何も明晰ではないままに、
ただ、「なんとかしてくれ」「今の社会などなくなってしまえ」と
多く人たちが望んでしまっていたわけです。
●これが、私が、毎度、何度でも皆さんに言わねばならない、
「天使や悪魔との取引には注意しろ」ということです。
望む時には、望みそのものを、よく自分で検査してからにしろ、という意味です。
願いは、そのまま叶うことがほとんどですが、
ただし、そもそも、自分が願っている内容の詳細なコンテンツすら
わかっていなかったり、肝心の未来の部分がないことがほとんどです。
そのためには、皆さんが口にする願望はいつでも、漠然としていて、
>>「しあわせになりたい」(←幸福の定義ができていないのに大丈夫か?)
>>「何か、変わったことが起きて欲しい」(←おいおい、それは危険すぎる望みだぞ)
>>「こんなところにいたくない」(←もっとひどい所に行ったらどうする気だ?)
>>「安心したい」(←どうせそのうち、退屈だと言い出すぞ)
>>「結婚したい」(←したあとでどうしたいのか、ちゃんと望んでいるのか?)
と、私がいちいち、突っ込みを入れたくなるような、
あまりにも、「具体性と、中身のない、曖昧な願望」が多すぎます。
●社会が一度壊れるのは、いいとしても、そのあとにどういうものが
再編成してほしいのかまでを、本気で真面目に考えていた人など、
毎日の生活のための仕事に追われていた人たちに、あろうはずもありません。
よって、その結果が、現在、皆さんが目にしている、
信じられないような政府と行政の、態度であり、この先も続き、
税金と電気料金を、まんまと搾り取られ、
福島の人たちは放置され、復興詐欺に悪用され、
メディアは腐りきり、そうして、やがて、再び同じ災害が起きるでしよう。
結局、これだけの危機がありながら、
何も変わらないどころか、悪化してしまったのは、
>>「破壊の後のヴィジョン」を持たない人たちが持った「破滅願望」が
>> 現実になったからです。
それはこの先も変わりません。
それが変わるのは、地球の人間の手によってではないのですが、
それは、数百年も先の話ですので、今回の私達には関係ありません。
今回、生きている人に直接に関係するとしたら、それは次の核戦争だけです。
●それと、この投稿の「小見出し」に、
無理やりにあわせた締めくくりかたをしますと、
今回の地震は、まさに「ふるい」でした。
ふるいに乗った人々が、揺さぶられることで、
まさに、分離が起きました。
ふるいは何種類かの目の細かさがあるので、何種類かの粒子に分離されたと思います。
そういう意味では、社会的な「揺さぶり」がかかる時期というのは、
「もう、こいつと同じ空気を吸っていたくない」と多くの人たちが
隣人に対して思うようなときか、
または、退屈したときに起きやすいのです。
その意味では、地震という「揺れ」が、単なる象徴としてばかりではなく、
実際に、「揺さぶられて、ふるいにかけられたため」に、
震災後に、人間関係が整理された人も、多いはずです。
●もう昔のことですが、私が、現実の世界でもネットでも、ケンカ好きだったのは、
ケンカやトラブルを、計算して、意図的に引き起こすことで、
必ず、そこでは「分離作用」が得られるからです。
思考停止状態で、なーなーに何かをやっていたグループや組織やBBSが、
ケンカ状態という、揺れを与えられて、ふるいにかけられて、
「粒子の大きさによって、複数に分離する」という、その効果が得られたからです。
自我復元
●自我復元、トラウマの掘り出し、関心地図、
これだけは、必ず、やっておいてください。
それに関しては、私は協力は惜しみませんが、
それ以外の事には(汚染情報を除いては)、私は、ほとんど無関心です。
___________________________________________________________
■最後は、唐突ですが、
およそ精神世界には「程遠い話題」で、締めくくります。
亀の子たわし「3号」の快
●「3号」がちょうどいい。
●たとえば、猫のブラッシング・・・・
●いや、それもいいのですが、そうではなくて、
自分の背中をかくのに、このタワシが一番気持ちいいのです。
●背中をかくときには、上の左の写真ようなヘアブラシを私は使っていました。
特に金属のブラシが気持ちよくて、ずっと愛用していました。
しかし、世の中では、「亀の子たわし」が一番気持ちいいと耳にして、
やってみたら、これがハマりました。
「痒みをかく」という動物としての快感は、なかなか捨てがたいものがあります。
そもそも痒くならなきゃいいだけの話なんですけどね。
この「亀の子たわし3号」で、御自分の手足もマッサージしてみてください。
お尻もいいです。とにかく、全身どこをかいても気持ちいいです。
ちなみに、これで背中をブラッシングしてくれる友達や同居人がいない場合には、
写真のように棒などに細い糸で固定して、自分で背中をかきましょう。
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