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[3534]
■
【精神的な探求「以前」に処理すべき問題】
by:
崩残
2006/06/02(Fri)06:47:40
■宗教や精神世界に関わる者を見ていると、
明確に、おおざっぱには2種類に分かれる。
ひとつは、これまで書いてきたように、自分の取り組むべき、
本当に必要な、足元の地盤の問題を見たくなくて、
そこから逃げるために、精神世界を振り回す者。
その者たちの最大の特徴は、「引用だらけ」
「他人の言葉ばかり」「自分の意見が述べられない」ということだ。
彼らは、経典や本に書いてあることを、
さも、自分が理解しているかのように、軽薄な、おしゃべりを続ける。
そして、何かをただ他人に薦める程度のことしかしない。
「あれ読んでみろよ」「あれはどうだこうだ」と。
よくてせいぜい、中身は空っぽの「ただの引用が9」、
本人の「軽薄な見解が1」といったところだ。
もしもあなたが人生の中で、こういう者に遭遇したら、
この連中は、放り捨てておいてよい。
いかに、権威ある何かに属していたとしても、いかに
知識が豊富だったとしても、ただの「のうたりん」の馬鹿者と
思っておけばいい。
__________________________
次に、引用などは、1程度、あとの9割が、
自分の経験との照合から、何らかの意見を言うなり書く者。
この人たちだけは、探求というものが、
自分から逃避するためではなく、自分の問題解決の糸口として
使用されている可能性のある人たちである。
なぜならば、探求のために精神世界を旅するということは、
常に、日々の自分の意識の在り方や、自分を取り巻くあらゆる現象と
既存する知識を照合して、常に自己検証してゆかねばならないから、
彼らの語る言葉のほとんどが「経験談」または
「具体的な経験に裏づけされた言葉」となる。
_____________________________
■さて、前回まで、人がいかに、子供時代に、
親や環境から大きな影響を受け、
のちに、精神世界や宗教に傾倒したところで、
そもそもが、親の都合の良いように調教された中で、
自活すらままならないほど、無力化されているのだから、
それでは、これは自分のだと言える明確な目的も
意識化されておらず、それでは探求の資格すらないと述べた。
それぐらいであれば、まずは精神世界に問題を摩り替えず、
足元の問題から見るようにと書きました。
そこで、人がいかに、環境によって{初歩的な洗脳}をされるか
ということは、このサイトの別部門の、
以下の記述でも理解できるはずです。
***************************
我々は、文明人とか未開人といった奇妙な差別を持っている。だが、
「文明人」などという種は人間には存在しない。
存在するのは、「文明化社会に育った未開人」であるにすぎない。
つまり、人間の中から、個人をひとつ取り出したら、
その中にはいかなる生物的な「遺伝的進化」も全く起きてはいない
ということである。
未開人、文明人などという「人種の差」は存在しない。
あるのは文明《社会》人か、それとも未開{社会}人かである。
というのも、人間の個人それ自体の脳は、
進化した事は全くないからである。一例として、
未開社会の両親から生まれた新生児を出産直後から
文明社会で育てた場合は、その人間は、文明社会人となる。
逆に、文明社会の両親から生まれた新生児を
出産直後から未開社会で育てた場合には、
その人間は、未開社会人となる。
すなわち、未開人、文明人などという種は存在せず、
どのような環境を経験したかによってその人間の性質は
決定されるのである。
もしも新生児を100人無人島に放置したらば、当然彼らは死ぬだろう。
いかなる文明社会で生まれた脳を持っていたとしてもだ。
同じく猿や鳥類の新生児を100体、無人島に放置しても、
その大半が死ぬ。
ところが、生まれたばかりの昆虫を100匹離したら、
彼らはほぼ全員生き延びる。
これが意味するものは、生まれた直後から、自立するまでに、
生存手段を親や群れからの教育に依存するような生物は、
本来は生き延びるには極めて不利であるという事だ。
■詳細は下記の↓全文を参照のこと。
http://www.mumyouan.com/d/js-94.html#ARUI
_____________________________
■だから、まずは、その家庭内または幼児期の初歩的な
調教がどのように自分に対してなされたか、
親の本心は、どうであったのか、親にはどういう不満が存在したか、
親にはどういう劣等感が存在したか、
そして、自分は、その影響をどのように、
いつまでどの程度受けた形跡があるか、
これらの屈折した問題にメスを入れておかないと、
その後のあなたの人生は、自分で思うようにならず、
下手をすると、中年をすぎて老人になってさえも、
未だ、既に死んでいる自分の親が仕込んでおいた呪縛の中で、
精神的に自立もしていない、という状況が世間ではよく起きている。
個人的な話をしますと、私は22歳ごろになって、
社会で働きはじめる、その前までに、その問題にメスを入れました。
何かの劣等感や、何かの歪みのあるままに、社会に出るということは
自他ともに、ろくなことになるまいと思い、
集中的に長い時間をかけて、最低3度は、自分の生まれたときから
それまでの経緯と、影響されたものを、重箱の隅をつつくように
残らず、明らかにしてみました。
幸いにして、私の育った家庭は、親が何かを私に期待することもなく、
ほぼ放任で、無干渉でしたが、最低限人間として必要な
スキンシップも、愛情もほどよく与えられました。
決して、過度の溺愛でもなく、所有欲をもたれるわけでもなく。
父親は、1人っ子で、甘やかされて育ったためか、
ろくな親ではありませんでしたが、父親が転勤が多く、
父親と会う機会そのものが、幼少のころより非常に少なかったために、
その被害を受けずに済みました。
子供であった私にとっての「重要な年頃の時期」は、
何ひとつも劣等感を持たない正常な母親によって、育てられました。
その結果、これは、親からの影響とは別の次元でずっと
内在している自分の問題であるというものを発掘し、分離して自覚し、
社会に出てゆきました。
そのおかげで、望んだもので、手に入らなかったものは
何ひとつありません。
先天的に全く興味がなく、望まないので手にしようとしないものも
多くありますが(たとえばお金とか財産とか名声とか)、
望んだものにかぎっては、ひとつも漏れがありません。
多くの場合には、人です。もともと、人間の意識構造に対する関心を
自分のテーマとして生まれてきましたので、
それ以外のものは、興味がありませんでした。
だから、恋愛においても、その時々に、自分が経験したいと望んだ
タイプの異性はすべて経験できましたし、
会ってみたいと思ったタイプの人間には、性別関係なく
すべて会うことが出来ました。
ただし、人と出会うのは、かなりの時間を必要とすることがあります。
それは、相手と自分双方の時間の流れが違うからであり、
ときには、何年もしてから、すっかり忘れたころに、
好奇心から、自分が望んだ人物と出会うことも多かったです。
いずれにしても、自分が思うように出来るものと、
自分には関係のない世界、
自分が親や環境から受け継いだのではない意識の中にある目的、
そういったものは、可能なかぎり、数年に一度なり、定期的に、
何度か自分で洗い出す必要があります。
自分で保持しようとなどしなくても、
残るものは、どうしても自然に残るものなのですよ。
そして、いかに自分で保持しようとしたところで、
保持できずに、失われてゆくものは、
自分で無理に捨てようとなどしなくとも、自然に消えるものです。
そうした分別作業がきちんと終わっていると、
その後に、生きていって、自分が経験することは、
すべて自分で引き受けるということが出来ます。
そうした足元の記憶の整理がまだ出来ていないというのは、
何か不快な事が起きるたびに、それを他人のせいにします。
______________________________
■こうした問題を掘り下げるときには、原則として、
自分1人でやらねばならない。
でなければ、よほど有能なカウンセラーと共にするかである。
残念ながら、もしもそれをしようとしたならば、
そのカウンセラーは、仕事になりません。
膨大な時間と手間と、対話が必要になり、かつ、
そのカウンセラーは明確に問題の根を掘り出せるだけの
経験を必要とします。
アカデミックな心理学、精神医学を振り回したところで、
どうにもならない問題ですから、いわゆる職業的な
カウンセラーでは不可能と思ってください。
だから、その作業は自分1人でやるしかありません。
現在、私は、ごくごく個人的にほんの数名(5人以下)の
人たちに対して、慎重にその作業をしていますが、
個々にすべてケースが違うので、方法論を一般化はできません。
この基本的な、幼児期の、初期環境のネタ、親の手の内が全部バレると、
ようやく、それを丁寧に排除していった結果として、
その人がどうしてその親を選択して生まれたかがわかり、
その後に、いくつかの前生が明確になり、
そこから、その人が、何回かに渡って、同じことをテーマにして
生まれているということがわかります。
そこに行き着くには、今回の生で混ざった、ノイズを
明確に発見して、除去しないとならないのです。
そうすると、そもそも精神世界の探求を、問題解決の手段として良い
人と
そうではない人が明確に分かれますし、
それが明確になった方が、その人は、その後楽に生きてゆくことが
出来ます。
この世の中、とにかく、精神世界に関わるべきではない人たちが
多すぎます。
かかわることで、問題の根っこが、曖昧になり、結果として
「無駄に時間を使って」、苦しむだけですから。
■かといって、私は、一般的に転がっているカウンセリングなど
決して薦めません。
そして、へんてこな霊能者に依存したり依頼するのもアウトです。
これは、自分の意識のスコップで掘るから意味があるのですし、
私はその「掘る位置の割り出し」をしているに過ぎません。
あとは、その人が自分で掘り進んで、自分という自我の家が建っている
地盤の状態を調査しなければなりません。
_________________________________
そうした中で、最近掘っているケースの一つが、
自活すると、親の呪縛から離れやすいということと、
組織宗教から離れると、独自の道が明確になるということ。
もともと無明庵には、組織宗教などに依存している者は
存在しませんし、また「実生活での経験的な理解」をしていない者が、
無明庵の本やサイトに書かれているような事に、賛同したりすることは
門前払いで蹴り出されます。
ただし、経験との照合で、明確に「その道」に関係すると
思われる少数の人とは、私は接触は持っています。
話は戻りますが、たとえば、親から受け継いでしまったコンプレックス
といったものを明確に自覚して、それを解除していない人は、
自分の自由になるお金が手に入りません。
なぜならば、お金というのは、コンプレックスを埋めるための
代用品ではないからです。
以下が、その人に私から語った内容の一部です。
__________________________________
企業で発展したり、大きくなって、大きな問題も起こさないところ
というのは、たいていは、
経営者に、大きなコンプレックスが存在しない。
自分が満たされなかったものを、
お金の力でなんとかしようとする動機がない。
その場合には、お金は「純粋に経済としてのお金」として使われる。
経営者で失敗したり、逮捕されたりするのは、たいていは、
「純粋に経済的な発展だけ」を目指したのではなく、
自分個人の欲望のネタや燃料としてお金を扱った場合である。
これは実のところ、お金にかぎらず、
人脈でも、物質でも、情報でも、感情でも、思考でも、
「なんであっても」そうなのである。
「それ自体のため」に使わず、「何かの穴埋めの代用品にする」
それがそもそも、物事の中に「屈折を生む」の第一歩なのであるから。
物事は、それ自体の目的以外のものに
代用品を当てはめると、必ず失態を演じるということである。
ただし、
「自分が食ってゆくためのお金」、
これは動物としての根本的な活動であるので、
これは個人の「心の欲望」とは関係がない。
これは肉体の正常な要求に答えるということにすぎないので、
これは受け継いだコンプレックスという動機には属さない。
また食うだけでなく、周辺的なものも、
本当に個人的な趣味であるならば、そうしたものは
必要ならば集まるものである。
芸能人とか富豪とかでも、よく見てみるとよい。
その人が純粋に趣味で集めたものは、その人に「悪さ」をしないが、
その人が、見栄とか、心が満たされないために、
他者の注目を引くためとか、
あるいは、何か別の手段(たとえば、換金目的)として
コレクションしたもの、
そうしたものの蓄積は、いつか崩落するのである。
そうでない、本当に個人的なものは、
衣食住以外のもの、物でも人でも、
自然に自分の手に入るものというのがある。
__________________________________
私は、脳のセンター、胸のセンター、生殖器のセンター、
最低限この3つは、独立して、他のセンターに干渉したり、
飛び火しないように、個々に管理し、機能させろと言ってきた。
思考に感情を介在させてはならないし、
感情に思考を介在させてはならないし、
生殖器に感情も思考も介在させてはならない。
個々のものを個々に、そのありのままの欲望と機能の中で経験し、
個々に成熟した経験を経たあとでしか、
それらを連結するということは出来ない。
それが私が、「性恋愛教本」の中で主として語ったことである。
正しく言うならば、
無明庵関わっている人たちは、ここに4番目と5番目のセンターとして、
前頭部上部と、頭頂部のふたつの主要なセンターを加え、
その全体を円滑に、機能させなければならない。
そのためには、まずは、他者の影響を受けている部分を
切り離すことである。
だから、とにかく、
今は、自分と親の問題の分離に集中しておくとよいだろう。
それが済むころには、リロードの分析から、自分が親の影響とは無縁で、
自分1人が、もともと、使えそうなものというのが、
最低、誰にでも1つやふたつはあるのである。
なぜか、それは、たいていは、1つか2つなのである。
いや、正確に言うと、3つである。
基本的に、その人が「先天的に、自分が能動的に扱える分野」は、
常に、3角形を形成しているからである。
また、その人が先天的に縁のある「物質」というのも、
たいていは、3種類存在する。
前者の能動的に扱える資質よりも、
「物質」の方は、判明させるは非常に簡単なことで、
よくよく自分で思い出せば、
あなたには、常に自分の周囲にいつも散らばっているか、
または常に存在する、典型的な物質があるので、
「絞り込んでゆくと」、それはすぐに分かるだろう。
●一例として、私の場合には、
能動的に自分が完全に自分の意志したように、自由に出来る分野は、
「悟りの問題」「セックス」「言葉。特に文字によるもの」
悟りの問題は、もう何度もの転生で繰り返してきて、長いですから。
その問題に関わったのは、紀元前からです。
セックスに関しては、ギリシャ時代ぐらいのある時期に、
「人間ではないもの」に生まれたときの経験が、
現在でも機能しています。
そのせいで、とにかく性的に成熟した女性からは可愛がられます。
つまり性的に成熟していない20歳以下には関係ない。
それで、私の方は、そのお礼として、性的な充分な満足を
女性に与える。そういう授受関係が、遠い過去に作られたのです。
今では関心なくなりましたが。
そういえば、先日、とあるギャラリーに行ったときに、
全く見ず知らずのおばあちゃんから、
「あっらまー、素敵な・・・」と、ニコニコ顔で、すりすりと、
擦り寄られてしまいました。
なぜか、どこへ行っても、このパターンが、やたらに多いんです。
私の相棒が、「性恋愛教本」の中で、私について少しだけ書いていましたが、
なぜか、特に30を過ぎた中年女性に全く自然に、
何の警戒心もなく、可愛がられるのです。
(どうして、こんな、いかついおじさんに、
初対面で、警戒心もなく寄ってくるのかと思うぐらいです)
私は顔なんか、別にどこも二枚目でもないのですよ。
ファッションなどにもうといですし、だらしないぐらいです。
だから、その女性たちというのは、たぶん、
不可視の次元で私の形とか姿を観ているだと思います。
ただし、現実に、私がこの生で、性交渉を持った女性たちは
すべて、私よりも年下でしたし、ずっと年上の女性と交わったり、
真剣に長くお付き合いをしたという事はありませんから、
この熟女と私との「妙なつながり」は、実際の生活上での性交渉には
今生では、つながりはないようです。
●で、常に私の周囲に、幼いころから常に存在する「物質」これは、
「紙と筆記具」「手裏剣」「人形」
余談ですが、もしも私が「人形専門店」のお店のデザインをしたり、
特に人形の「配置」をしたり、または人形専門店を経営したら、
とんでもない規模の発展をするということは、自分では重々
わかっているのですが、今は、まだ関心がないのでしません。
なにしろ、人形がどうしたいか、どの位置に収まりたいかは、
人形に直接に聴きますから。
もしも人形劇なんかやったら、えらいウケまくることでしょうね。
手裏剣に関しては、そういう発展はしないです。
それは地上と私とを繋ぐ「媒体物質」になっているだけなので。
紙と筆記具、ようするに、今やっていること、そのまんまです。
そのように、誰しもが、親とか環境からの影響を全部
排除してしまうと、屈折した心の歪みとしてではなく、
「資質」として残るものが「少量」だけあります。
人生で、道草を食って、後悔するような無駄な時間を過ごしたくないなら、
まずは、今までに述べたような、内面の「整理」をすることです。
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